チューニングという言葉は、「楽器の音と高さを合わせること」という意味で広く知られている。楽器は使っているうちにちょっとずつズレてくるから、人の手でそれを直してやらないといけないのだ。
私にとって文章を書くことは、それに似ている。

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現代を生きる私たちは日々の中で、多くの情報を得たり、自由に娯楽を消費したりしている。私も当然、その一人。私はオタクだ。
とにかく、いろんな人やモノが好きだ。もう10年以上応援している声優がいたり、あまり有名じゃない歌手のファンクラブに入っているし、最近売れ始めたアーティストのライブに足繫く通っていたりもする。
アニメも色々見る、ゲームをするのも楽しい。あとは、美術館に足を運んで色んな展示を見るのも好きだし、映画や音楽もジャンル問わず色々なものに触れたいと思っている。

多趣味と言われればそうかもしれないけど、大学の友人、高校の頃からの親友、身近な同世代は大体こんな感じだ。
だって今の時代、手の中の端末ひとつで、いくらでも情報が手に入る。しかも、欲しいもの、興味のあるものについて調べるのに一度ネットを使うと、AIの分析によって導き出された「こういうの好きじゃない?」が次々画面に現れるようになる。推しも、アートも、映画も音楽も、なんだってそうだ。
私はコロナ禍が始まった2020年、大学に通えず、パソコンやスマートフォンばかりと向きあっていたから、AIのその策略に見事にはまって、現在こういう状況になっている。

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好きなものが色々あると、毎日楽しい。推しのライブはバイトのモチベーションを上げてくれるし、好きな音楽や映画に出会えると自分の世界が深まったような気持ちになれる。
でも、ふと立ち止まって考えてみると、それって全部「摂取」だ。好きな人の姿や言葉を、素晴らしい作品を、五感を通して自分の中に取り込んでいる。あっちを食べてこっちを食べて、ひたすら食べ続けている感じだ。
当然、疲れる。お腹いっぱいで、消費者にも体力が要ることを思い知る。

私がそれを自覚したのはたぶん2年前くらい、コロナ禍の中で色んなイベントが再開されるようになって、バイトも始めたから自由に使えるお金もそこそこあって、舞い上がってとにかく行きたい場所に行きまくり始めて、ちょっと経ったくらいの頃だった。
あれ?思ってたのと違うな、みたいに思うことがたまにあった。この「違う」がライブや美術展や映画に向けられたものじゃなく、自分の心のありように対してのものだと気付くのにあまり時間はかからなかった。

たぶん、一年受験勉強漬けの生活を送った直後に、大学に行けないステイホームイヤー2020があったから、普通に体力とか精神力が落ちていたのも原因だとは思う。楽しいはずの摂取活動で、自分の中に歪ができてしまったのだ。
しかし私は一応、(たぶん)花の大学生。就職したら自分の時間は激減するだろうから、今のうちに好きなことをありったけしておきたい!という強い願望があった。
それで考えてみた結果、インスタグラムで、趣味のことだけを書くアカウントを作ってみることにした。

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思い返せば私は、趣味の世界で出会った色んなものに対して抱いた無数の感情を、ちゃんと言語化して外に出すことをしていなかったのだ。
ツイッターは昔からやっていたけれど、あれは140字の字数制限があって自分の胸中を長々と綴るのには向いていない気がしていたから、なんだか抵抗があった。なにより、あれはツイートの全文がフォロワーのタイムラインに表示されるシステムだから、ネガティブな気持ちや重い言葉まで含めたものを赤裸々に綴るのは気が引けたのだ。
でもインスタグラムなら、字数制限は2200字とゆとりがあるし、本文もタイムラインでは畳まれた状態で表示される。

アカウントを作った私は、推しの新曲が良かったこと、ライブに行ってMCで泣いたこと、気になってた映画がちょっと期待外れだったこと、とにかく何でも書きまくった。
もともと文章を書くのは嫌いじゃなかったから気軽に書けたし、投稿ボタンを押す時はスッキリした気持ちになった。自分の中で崩れた何かのバランスを戻せた気がした。心の中にいっぱい入れたのなら、出すことにも目を向けたほうが、生きやすくなるのだと感じた。

そして私は今も、色んな趣味の活動を楽しみながら、そのアカウントで自分のチューニングを続けている。使っていくうちに調子を崩してしまう心を、私自身の手で直すのだ。