誕生日を祝えること。それが、私がSNSでつながれて良かったと思うことであり、つながっていたいと思う理由です。
ただしここでいう誕生日は、私のものではありません。また、SNSでつながった誰かのものでもありません。
匿名のSNSをやっています。もっぱら趣味のアカウントで、好きな作家や漫画家のアカウントを見たり、同じような趣味嗜好を持つ人たちとつながるために使っています。アカウントを知っている現実の友達はいますが、SNS上でやりとりしたことはありません。つながっている、やりとりしているのは同じ漫画を読んだり同じキャラクターを推したりしている人たちです。
私はそのアカウントで、特に頻繁にあるキャラクターの感想やら妄想やらを載せています。いわゆる「推し」というやつです。この「推し」の誕生日を祝えること。それが私にSNSをする大きな喜びと楽しさを教えてくれました。
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私の「推し」は決して有名なキャラクターではありません。登場作品はそれなりに知名度も発行部数もあり、巻数も出ていますが、「推し」自身は初登場が遅く、立ち位置としては脇役です。けれども私にとっては人生でここまでハマったことがあろうかというぐらい、大切な「推し」です。
そんな「推し」を祝うため、誕生日になるとお祝いのメッセージを上げるのです。同じように「推し」を推している人たちもわらわらと投稿し始めます。
もちろん普段から多かれ少なかれ「推し」について発信しているアカウントたちではあるのですが、誕生日は特別です。「推し」が作中で食べていたもの、行っていた場所に関するもの。公式で明らかになっている好物。純粋に誕生日ケーキ。各々のイメージする「推し」の誕生日に関する何か。
私は今年、作中で「推し」が飲んでいたお酒と、ケーキで祝いました。普段飲まないお高めの強いお酒でしたが、買うことにも飲むことにも迷いはありませんでした。ある人は「推し」が頻繁に食している物をかたどったケーキを食し、またある人は「推し」が訪れていた場所から投稿していました。
私は、幼い頃、誰かの誕生日に招かれたような経験はありません。タレントの生誕祭のような、オフィシャルなイベントに参加したこともありません。ですから、みんなでいっせいに誰かの誕生日を祝う、という経験をしたのはこのSNSが初めてでした。そしてこの、なにものにも代えがたい楽しさと喜びを味わってしまいました。
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「推し」は架空の人物であるからして、何かしら見返り、例えばバースデーメッセージに対する返答があるわけではありません。それでも、ただ、祝いたいからという理由で、私たちは「推し」の誕生日を祝います。手間と時間とお金を掛けて。
それはある意味とても純粋な愛なのではないでしょうか。したいからする、以上に、やらずにいられない、そんな感覚なのです。
見返りも打算もなく同調もなく、己の内からの衝動にのみ従ってする行為。きっと他の人たちもそうなのではないかと思っています。そうして私のアカウントからつながるあちこちで表される愛を、愛で、楽しみ、褒め称えながら、その一日を終えるのです。
全数としては決して多くないでしょう。両手で数えられるくらいでしょうか。けれども、この日本にたった数人の「推し」の誕生日を祝う人が、そのSNSにはいるのです。SNSをやらず、ただ日常生活を送るだけでは、絶対につながることができなかった人たちが。
住んでいるところも、年代も、職業も異なる私たち。そんな私たちが年に一度だけ、「推し」の誕生日にネットの片隅に集って、私たちだけのバースデーパーティーを開くのです。
私たちが、「推し」を推し続ける限り。