まず、文章とは、辞書的な意味を調べると、「幾つかの文を連ねて、まとまった思想を表現したもの。特に、それを文字によって表現したもの」(Oxford Languages)と定義されていた。つまり、読み手に伝える文章を書くためには、ものごとを筋道立てて、必要な情報を取捨選択し、それを「書き言葉」によって表現する。
自分の思想を表現するために「文章化」するには、読み手に自分の言いたいことを正確に伝えることができる文章を作成する能力が求められる。
文章とは、文字を通して書き手と読み手がつながる、間接的なコミュニケーションのツールである。これに対して話し言葉は、自分の伝えたいことを伝達する「話し相手」(1人の場合もあれば、大人数の場合もある)と面と向かっている状態で、相手のあいづちや表情などのリアクションを伺い、相手の理解度を把握しながら伝えることができる。「書き言葉」と違い、「話し言葉」は直接的なコミュニケーションに用いられるツールである。
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私は幼い頃から、自分の思想や意見を多くの人に伝えるとき、作文などの「書き言葉」で伝えるよりも、スピーチやプレゼンテーションなどの「話し言葉」で発表するほうを得意としていた。
実際に大学の授業で、授業内のチームプレゼンテーションで発表した内容をもとに、期末レポートとしてまとめ直して提出するという課題があったが、夏休みの面談で、担当の先生から「プレゼンテーションが素晴らしかったため期待したが、レポートは期待よりも出来が悪かった」と言われたことがあった。
プレゼンテーションなどの発表では、聞き手のリアクションを見ながら臨機応変に言葉をわかりやすく言い換えたり、その場で質問を受け付けたりすることができる(そのぶん制限時間以内におさめることは少々苦手であるが)。そのため、自分の伝えたいことを十分に伝えることができ、正確に聞き手に理解させることができる。
しかし、作文や論文など、「書き言葉」で伝える文章は、「話し言葉」のようにその場で訂正が利かなかったり、適宜質問を受け付け、注釈を付け加えたりすることができず、いったん自分の判断で文章を構成し、完成させた文章を世に放ったり、読み手に与えることになる。
そのため、自分ではうまく伝えているつもりが、読み手の受け取り方や知識・感性・文化などの違いによって誤解を招く可能性がある。そして読み手の理解しやすい文章構成や、誰もが理解できる、誤解しない言葉選びを考えなくてはならないということも、非常に私にプレッシャーを与える。
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では、このように「書き言葉」のデメリットばかり説明した私が、なぜ文章を書くのか。
「話し言葉」には先ほど説明したように、相手のリアクションなどに応じて話し手が手を替え品を替え説明を加えることができるため、即興性・可変性がある。しかし、相手の反応や顔色を伺いすぎることで、メリットとして説明したこの特性がデメリットとしてはたらく場合がある。
自分の意見や持論を、聞き手にその場で否定されてしまった場合、果たして話し手はそのまま自分の伝えたいことを曲げずに話し続けることができるだろうか。
自分の思想を整理し、「書き言葉」で構成された文章は、読み手によって一度最後まで目を通されたのちにフィードバックを受ける。自分の言いたいことを人の影響を受けずに最後までまとめたものを、読んだ人に伝えることができるという点で、文章というものは真価を発揮するのではないか。
「書き言葉」で相手に理解してもらうことが難しい、苦手だと感じていても、自分で見たもの、感じたことを「文章を書くこと」で、私がどういう感性を持ち、どういう人間かを伝えることができる便利なツールとして活用していきたいと考える。