私にとって「文章を書くということ」、それはなにか。そう聞かれたら、一言では言い表せない。なぜなら私にとって「文章を書くということ」はそれだけ特別な行為であり、沢山の側面を持っているからだ。

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「文章を書くということ」、それは自己表現のツールであり、私の日常の中の一部である。
毎日何かしら自分の心の中に湧き出た気持ちを日記、あるいはSNS、あるいはブログなんかに記している。

これらは自分だけのために書く文章だ。見ている誰かはいたとしても、基本的に自分のためだけに書いている自己満足な文章だ。自分が自分の行動や感情を後から鮮明に思い出し、振り返ることができるように、そして、書いている瞬間にストレスを吐き出すための手段だったりもしている。
だからこそ私は、感じたことを文章化しないと気持ちが悪いと思ってしまう。ここまでくると重症なのかもしれないけれど、私は書くことが大好きだ。本当に本当に大好きなのだと思う。だから自然となんでも文章化して書きたい!そう思ってしまうのかもしれない。

だからこうして、かがみよかがみにも自分の考えを素人の拙い文章だと自負しながらも投稿している。そして編集者さんに読んでいただいて、コメントをいただけて、なおかつ採用されればもっと多くの方に読んでもらえるチャンスが与えられるのだ。

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そして何より、自分が書いた文章を通じて、自分が出会ったことのない顔も名前も性別も性格も、何もかも知らない人と知り合うことができる。それってとっても夢がありすごいことだと思わない?

それはたとえ一方通行であったとしても、誰かのもとに確実に発信されていて、それを読んでくださる誰かが少なかったとしても必ずいて、この文章に救われたなとか、自分もこういう経験したことあるなとか、自分だけじゃなかったんだとか、いろいろな感情を思いめぐらせながら誰かの力に微力ながらになれている気がしてしまうのだ。
こんな自分でも、仕事以外のことで御給料をいただかなくても、誰かの力になることができる。そう実感することができるのだ。それだけで自分の日常がどんなに色鮮やかになるだろう。そしてどんなに幸せな気持ちになることができるのか、皆さんにお伝えしたい。

「文章を書くということ」、それは自分の日常のルーティンであり、かつ自分の趣味でもあり、好きなことをしているだけだというのにそれが誰かの力にもなれることがある。こんなに幸せなことってないと私は思う。そのくらい私にとっては「書く」という行為は単純だけれど重要な行為なのだ。

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私はひそかに死ぬまでに大好きな私のオアシス、本屋さんに自分が書いたものが並んだらいいなという夢がある。
自分が生きた証を自分の文章で残したい。いつか自分の本を出版したい、そう思うようになったのは、自分が本が好きな読書家であることはもちろんだが、それが私らしく自分を表現する方法なのではないか、そう考えたからである。

いずれ自分の書いた本が書店に並び、自分の本を沢山の人が手に取ってくれますように。そして、その文章から沢山の人にいろいろな幸せな感情を与えられますように。そう願っている。そういう意味では、そうなれるよう日々修行中の身である。いわば、今の私にとって書くことは修行の一部分でもあるとも言えるのかもしれない。

私にとって「文章を書くということ」は、沢山の側面を持っている。だから一言では表せないけれど、あえて最後にまとめるならば、「生きること」に似ているのかもしれない。そう思った。