「文章を書くということはどういうこと?」と問われたら、「自分の本当の気持ちを自分の言葉であらわすことができる」と、私はこう答える。
私は文章を書くことが好きだ(編集のみなさま。日本語になっていないかもしれない箇所があっても丁寧な添削をいつもありがとうございます)。
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文章を書くことが好きになったきっかけは、小学校低学年の頃だ。
作文コンクールでも入選したことがあるが、文章を書くことをより好きになったのはアンネフランクのおかげだ。
以前、かがみよかがみでのエッセイテーマである「今の「私」をつくった本」でも書いたが(「ありがとう、アンネ。日常を書き残すことの大切さに気付かせてくれて」)、「アンネの日記」を読んだのが大きい。
彼女のように日記を書き始めたことで、自分の本当の思いを自分の字で残していくのが好きで感情をぶつけることができた。
小学校からずっと書き続けている。
日記は自分への手紙だと思い色んなことを書き続けている為、段々と自分が抱えている感情をどこかに書き残したいと思うようになった。
そんな時に、かがみよかがみのエッセイ募集を見つけた。
自分の言葉で書いて発信できる場所はここだと直感が働いた。
初めてエッセイを投稿したのは恋愛についてだった。
自分が思う恋愛観とアプリや街コンなどへの辟易した思いをぶつけたかった(「私のことを知りたい?恋人が欲しいだけでは? 街コンやアプリで出会った彼らが求めてくるもの」)。
友達に話しても共感しづらい思いを、ここでならぶつけてもどこかで共感してくれるかもしれない。
そこからエッセイを書くことに対して楽しさを感じるようになった。
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私は文章を書き続けるべきだと思っている。
なぜなら、心の中で思っていたことを自分の言葉に書き出していくと、思考が整理できるからだ。
例えば、怒っていてもどんなことに怒っていたのかを分析できる。
悲しいことも嬉しいことも書き出していくことで、次はどうしたらいいかも考えることができる。
時間が経っても感情は覚えていても段々と記憶が薄れていくとあやふやになってしまう。
文章として残していくことで、当時の感情がより引き起こされる(怒りを思い出してしまうことがある為、そこは要注意)。
写真を残すのと同じように、文章を書いて残すことで思い出を残すことができる。
ただ文章をかくと後から読み直すと、誤字や脱字があってまだまだ自分の言葉を綺麗に書き残すことができていないと落ち込むことはあるが、かがみよかがみにエッセイ投稿をして、自分の言葉を文章として書いたものへの編集部からの感想がいつも励みになっている。
私の言葉がどこかで共感を得てくれているかもしれない。否定的に思うかもしれない。
何かしらのきっかけになれば私はそれでいい。
私もかがみよかがみで投稿されている方のエッセイを見て、みんな色んな思いを抱えて感情をぶつけているのを見て、私も頑張ろうと思える。
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大人になっていくと、自分の言葉で文章を書くことは減っている。
子供の頃に書いた作文のように、自分の言葉で思ったことをそのまま文章として書き残すことが大切だと、大人になってから気づく。
読書感想文にしろ夏休みの思い出にしろ、自分が何を得てどんな感情を持ったのかを整理して言葉に書き出せることがどれだけ大切で、相手にイメージできればなおよし。
発信できる場所がないわけではない。
ブログやSNSで自分の言葉で発信できる場はある。
だけど、自ら書く機会は減ってきている。
日記のように自分だけにあてた文章を書くのも必要だが、匿名でもいいが多くの人に向けて文章を書くのも必要だと思った。
文章を書くことで、自分の心の底に眠っている感情や思いが隠されていることに気づき、仕事や人間関係などどうしていきたいか次への行動を考えられる。
だから私はエッセイを書き続ける。