私は文章を書くことが好きであった。幼かった小、中学生の頃は、文章を書く作文や国語の授業が得意だった。
文章を書くことが好きという気持ちに拍車をかけたのは、小学校五年生の時の経験だろう。

小学校五年生の時の担任の先生は、とにかくたくさん文章を書かせる先生だった。小学校の頃から、授業や校外活動等には感想文が付き物であったが、その先生は毎回全行を埋めるまで提出を認めてくれなかった。文章を書くことが苦手な同級生たちは、きっとこの指導方針をよく思っていなかったことだろう。

しかし、私はもともと文章を書くことは苦手ではなかった。自分の思ったことや感情を文字に載せて伝えることが好きだった。ゆえに、この指導から文章をたくさん書くことは良いこと、褒められることと認識したため自然と苦にはならなかった。さらに字を書くことが好きであったことも相まって、文章を書くことに対する抵抗はなくなっていった。

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しかし、ある時から文章を書くことに対して、抵抗感を感じるようになった。それは文章は文字でしか状況、感情を伝えることができないため誤解を受けやすいこと、たくさん書くだけでは思いが伝わらないことを実感したことがきっかけである。

一つ目のきっかけは高校に進学し、友人とのコミュニケーションツールの一環としてSNSを始めたことであった。

ある時、そのSNSで、何気ない友人とのやり取りの中で、私は友人に対して誤解を生むようなメッセージを送信してしまった。その時は自分自身では誤解を生んでしまうような文章を送ったとは全く思っていなかった。しかし、相手からのきたメッセージには文章に戸惑いと若干の怒りが含まれていた。

メッセージのやり取りでは文章だけではなく、スタンプや絵文字も相手に心情を伝えるために重要である。しかし、今まで得意であると考えていた文章が問題の一つになったということに、私は自分の文章に大きく自信を無くした。

また、同時期にもう一つ文章を書くということに対して、抵抗感を感じるようになった大きなきっかけがあった。それは作文の校内選考に残れなかったことである。
今まで校内選考に残れなかったことは一度もなかった。自分で文章を書くことが好きと言っていたことが恥ずかしくなるくらい落ち込むことになった。

後日、選ばれた作文を一つひとつ自分とどこが違っているのか、自分なりに研究した。研究して分かったことは、この時選ばれていた作文のほとんどは、文章からストレートにその時の心情や考えたこと、感じたことが誰にでも同じように伝わるものであったということだった。

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これらの経験を通して、私の中で「文章を書くこと」とは何かが大きく変化した。

以前は文章を書くことはとにかくたくさん思っていること、感じていることを文章化することであった。しかし、現在では文章を書くこととは誰が読んでも自分が伝えたいことと同じように自分の感情や感じたこと、考え等が伝わるようなメッセージを書くことであるという考えに変化した。

このような出来事があってからも、大学でのレポートやコメントペーパー、友人とのやり取りの中で日々文章を書くことの難しさ、大変さを感じている。
文章を書くことというのは、自分の思いを伝える手段として、非常に有効なものであると感じている。今後も、より相手に考えが伝わる文章を書けるようになるために、自分なりに文章と向き合っていきたい。