私は話すことが好きです。なぜなら目の前にいる視聴者の反応をその場で感じられ、声の大きさや抑揚、表情など言葉以外の面からでも相手に自分の意見を伝えることが可能だからです。

反対に、書くことは嫌いです。なぜなら書き方や言葉選びが難しく、時間がかかってしまうとともに、言葉でしか自分の意見を伝えることができないからです。
私は中学まで「書くということ」と「話すということ」は相反するものだと考えていました。しかし中学時代、私はある経験をしたことでこの考えに変化が生まれました。

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その経験とは、生徒会選挙の演説です。
中学1年生の時、私は生徒会副会長に立候補しました。最初、原稿用紙に演説の内容を書き、先生に提出しなければいけませんでした。書くことが苦手な私は、どのように書き進めればよいのか分からず、毎日考え、悪戦苦闘していました。

原稿は先生から何度も訂正があり、立候補なんかしなければよかったと思うほど心が折れていましたが、演説自体に関しては話すことが得意であったため、自分の納得のいく演説ができました。ちなみに結果は、落選しましたが……。

私は、生徒会選挙の演説からこのような「書く」→「話す」という経験をしたことから、この反対の「話す」→「書く」もできないかと考えました。

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まず、毎年ある夏休みの読書感想文で挑戦してみました。本を読んだ後、その本の感想を声に出して1人演説をし、録音したものをやや修正しながら原稿に書いていきました。
するといつもより早く感想文が終わると同時に、「いやだな」「めんどくさい」という書くことに対するネガティブな気持ちが少なくなりました。

書いていると次にどのような言葉を書けばいいのか分からなくなりますが、話していれば自然と言葉が出てきて、文章もつながりを持って、次から次に話すことができます。
それから録音まではしていませんが、話しながらメモしたものを参考に、現在も大学でのレポートを書くようにしています。もちろん、このエッセイも家で独り言のように話したものを書いています。

このように自分が得意とする「話すということ」で「書くということ」を補えることが出来ます。そして補えるということは、両者は全く別のものではなく、つながりを持っていると言えます。

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そのつながりとは、「言葉」です。当たり前のことのように思いますが、両者は形式、求められるスキル自体が異なるため、昔の私はそのことを理解せず、違うものだと考えていました。しかし1つの経験をし、そのことに気づいたからこそ、今は「書くということ」を不得意なもの、嫌いものであると思っていません。

昔の私にとって「文章を書くということ」は苦痛でしかありませんでしたが、今の私にとって言葉で伝えるメインの方法は「話すということ」であり、「書くということ」はその延長だと思っています。つまり、得意であることの延長なのです。
まだまだ好きとはっきり言うことはできませんが、自分の長所を伸ばすものとして今後も「文章を書くということ」を怠らないようにしていきたいです。

みなさんは「文章を書くということ」は得意でしょうか?好きでしょうか?
もし「文章を書くということ」が不得意である、嫌いであると感じている人はぜひ、私のように「話す」→「書く」ということにチャレンジしてみてください。
何か変わるものがあれば、私も嬉しいです。