目覚めと共に全身が痛んだ。
指先の違和感は、脈拍数を測る機械によるものだった。腕には針が刺さり、点滴の色は尿水に近い。ここが病室であることを悟る。
どうやら天国への片道切符は手に入らなかったらしい。
真っ白な天井にはところどころに薄いシミがあって、朧げに数えていたら、やたらと愛想のいい医者が病室にやってきた。
「あなたコロナにも罹ってるから、誰も面会できないからね」
多忙を極める医療現場の方々からすれば、私の華麗なる自殺計画に付き合わされた上、コロナで隔離措置も必要だったのだ。返す言葉もない。

別に強く死のうと思った訳じゃない。
東京では時折、どこにいようと、誰と親密になろうと孤独が濃くなってしまう。
己が何者でもない事実を、さも当たり前のように突きつけてくるのが、この街の特性だと思う。
日々蝕まれていく心が、単調になる感情が、それを冷静に受け止めているだけの自分が嫌になった。
何が辛いのかも分からないほど、生きている実感が無かったというのが正確かもしれない。

書いているときだけ、心の痛みが消えた気がした

数日間の入院の後、帰宅した自宅から誰の声もせず、温度も感じられなかった瞬間に「全て捨ててしまおう」と思った。
部屋を引き払い、仕事を辞め、携帯を捨て、知らない街へ越した。
朝日を浴びることすら叶わないまま数ヶ月が過ぎ、自身が人間なのかすら分からなくなった頃、唐突にブログを書こうと思った。

なんの才も持たない。文字にする他なかった。書いている時だけ、心の痛みは消えていたような気がした。

「何者にもなれなかった私たちは」

痛いだけの本心をさらけ出した。
生まれながらにして人は平等なんて事はない。
しかし、生き方を選ぶことを出来るし、そこに貴賎はない。
何者かになる必要を、誰に迫られたんだろうか。
朝日の眩しさや、夜の喧騒が日々変わってしまうのは、誰のせいでもない。
何者かにならなくていい、なる必要さえ本当はなかった。
そんな想いを吐露した。
誰に褒められたいわけでも、評価されたいわけでもなかった。ただ書けたと思った。
Twitterと連動する形でブログの公開ボタンを押したが、書いたことすら忘れていた頃の出来事だった。

Twitterに届いたDM。画面越しの言葉に涙が出た

ある日、一通のDMがTwitterに届いた。

「あなたの文章を読んで明日も生きようと思えました。本当にありがとうございます。」

画面越しの言葉が胸に届く。涙が出た。
感情が揺れ動いたのは、いつぶりだろう。
何者でもない私が、全てを失っていたと思っていた私が、たとえ1秒だったとしても誰かの生きる理由になった。
私の孤独なんてどこにでも転がっていると馬鹿にしていたけれど、誰かの苦しさに寄り添える可能性だってあったんだ。
何者でもない私だから、書けることがまだあった。言葉の可能性を信じる事で、書き続ける事で、今はまだ見えない答えがあるかも知れない。だから今日も私は言葉を紡ぐ。