「長いこと会話しないまま祖母が逝ってしまった……」
殺風景な夜の病室のベッドの傍らにあるモニターに表示された「0」の数字を見て、私は途方もなく虚無感に苛まれた。
2022年5月30日、祖母は95歳でこの世を去った。
父方の祖母で、私が生まれた時から大学進学を機に上京するまでの約20年間同居していた。にもかかわらず仲は悪かった。自分の考えを否定されたり、浪人していた時にそのことを見下されたりしたこともあって正直嫌な思いもたくさんした。
今思い返すと、私に対する愛のムチだったのかもしれない。しかし私自身未熟だったこともあり、祖母に対して嫌悪感を募らせ、溝は深まっていくばかりだった。
私が実家を離れてからは祖母が認知症を患ったこともあって余計に会話の回数が減った。罪悪感のようなものはあったものの、私は見て見ぬふりをしていた。
◎ ◎
そんな関係にあった祖母が、私が病院に到着する数分前に逝ってしまった。悲しさ以上に後悔の念に襲われた……。もう言葉を交わすことはできないのだ。
呆然と立ち尽くす私の目の前では、事務的に次の準備が進められていた。
「モヤモヤしたまま別れたくない。最後くらい、自分に正直になってばあちゃんに想いを伝えよう」
そう思った私は、手紙を書くという手段を選んだ。幼い頃から文章を書くことが好きで、これなら言葉を発するより自分の想いを伝えることができると思ったからだ。
手紙には直接口では伝えることができなかった自分の近況、素直になれず避けてしまっていたことへの謝罪、そしてこれまでの感謝の気持ちをしたためた。
このまま封をし、私と祖母の2人だけが内容を知っている手紙にしようと思ったが、葬儀で喪主を務めた父が「最後に、母がいつも自分のこと以上に目をかけていた子ども達から母に宛てた手紙があるようなので、1人ずつ読んでもらいたいと思います」という言葉で挨拶をしめた。
私は3人兄弟の一番上なので1番手。祖母が眠る棺桶の側で手紙を広げた。
……涙があふれ、書いた文字がにじむ。目がかすんで文字がよく見えない。声がふるえても、マスクの中がぐちょぐちょになっても、私の言葉でしっかり伝える。
◎ ◎
手紙を読み終わった後、私の心は一種の解放感と安堵に包まれた。
「私の想い、上手く伝えられた……」
私は祖母への手紙を書いたことで祖母を赦し、気持ちの整理をつけることができた。もし手紙を書いていなかったら、自分の想いを祖母に伝えることはできなかったと思うし、自分に正直になることもできなかったと思う。
「文章を書く」
それは私にとって、「自分に正直になることができるもの」。
文章を書くことで、言葉の海から長い時間をかけて自分の想いを上手く表現できる言葉を選び取る。そうすることで自分自身と向き合う時間も長くなり、自分に正直になることができる。勇気がなくても、まとまっていなくても、文章であればありのままの自分を表現できる。
だからこれからも私は、書くことを続けていきたい。