亡くなった祖母は、ラジオのハガキ職人だった。
正確にはハガキではなくFAXなのだが、ここは分かりやすくハガキ職人と呼ぶことにする。

祖母の元へ遊びに行くと、いつも地元局のラジオが流れていた。読まれていた内容は思い出せないけど、孫である私も何回か登場していて少しくすぐったい気持ちになったことだけはなんとなく覚えている。
毎日のように便箋に何かを書いてはFAXで流し、読まれたときに「おっ、読まれた」と小さく喜ぶ祖母が少し不思議で、子供の頃の私は大好きだった。

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そんな祖母に、中学生の頃に1度だけ手紙を書いた事がある。
ただの学校の課題作文だったのだが、正直とても緊張した。毎日のように文章を綴り、本を読み、言葉を聴いている祖母だ。書き終わっても、祖母のことを書いたとは言えなかった。
でも、ある日その作文が市内のスピーチ大会の学校代表に選ばれてしまった。
大会に出れば、市内の新聞に載ってしまう。祖母は新聞も愛読していたので、これはいよいよバレてしまうと思った。
「やばい、どうしよう……」
その当時の私の率直な感想はこれしか無かった。
とりあえずすぐに祖母に話をしに行った。すると、「大会観にいきたいわ」と笑顔で言ってくれた。一瞬ホッとしたが、"祖母の前で祖母のことを書いた作文を読まなくてはならない"ということに気づき、すぐに心がヒュッとなった。

ついに大会当日。夏休み中、体育祭のパネル作りと両立しながら毎日のように国語の先生と練習した。元々大人数の前で話すのは苦手中の苦手だし、時には上手く出来なくて悔しい時もあった。
私の前に何人か他校の生徒がスピーチをしていたが、「立派だな」と思うだけで、緊張で内容なんか何一つ入ってこなかった。

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そして、私の番が来た。壇上に上がり、毎日握りしめた作文用紙を台に置き、軽く深呼吸をした。作文のタイトルである『祖母孝行』の文字が見える。いつもありがとうという気持ちを込めて書いたものだった。客席を見れば祖母。既にハンカチで目を覆っていた(あまりにも早すぎる)。
結局、そんな祖母を見ていたら私まで少し泣けてきてしまって、半泣きでスピーチをしたので結果は全然ダメだったのだけど。
それでも、祖母が喜んでくれたことで自分の文章を好きになれたから私は満足だった。

今、私は社会人になった。祖母と同様、読書とラジオが好きな大人になった。
ハガキ職人とまでは行かないが、高校生位の頃からたまにメールを投稿しており、読まれては1人で密かに喜びを噛み締めている。子供の頃は、何がそんなに嬉しいのか分からなかった。ラジオはお年寄りが聴くものだと思っていた。
でも、自分でも投稿するようになってから分かる。なるほど、これは嬉しい。パーソナリティーと繋がった感じがする。読まれなくても、読まれた時の妄想がまた楽しかったりする。

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祖母が亡くなってから、もう4年が経った。未だにその時のことを思い出すと辛い。本当に大好きだった。結局『祖母孝行』は全然出来なかった。
でも、自分が祖母に似てるなと思うことが年々増えてきた。読書とラジオとは別に、"文字を書くこと"が好きだと改めて思う。何かメモをする時には必ず手帳を取り出すところなんか、特に祖母に似ている。今の時代には合わないかもしれないが、私はその方がしっくりきている。

最後に。私にとって『文章を書くということ』とは、"祖母との繋がりを忘れないこと"だ。今は、中学生の頃ほど自分の文章が好きだとは思わないけれど、祖母が喜んでくれたことを胸に『書く』ということは続けていきたい。公開しても、個人的でもいい。続けていくことで、繋がりを感じていたい。
それが、今できる『祖母孝行』な気がする。

実は、あの作文に対しての返事を祖母がどこかのコンクールに出品し、大会の時よりも大きく新聞に載るのだが、その話はまた今度。