近年、若者が結婚することや家庭を持つことに消極的だという話をよく聞く。私も家庭を持つことに対して強い意欲はない。良い人がいれば結婚したいが、どうしても結婚したいわけではない。
それはなぜだろうか。理由は、結婚が必ずしも良いものではないと理解しているからである。出産や育児に関しても同じだ。子供が産まれることに夢を見ていない。
私たち若者は、これらが辛さを伴うことを知っている。社会で立派に働いている大人たちは、少子化対策や晩婚化改善のために様々な政策について議論している。
けれど20歳を迎えた今、私が感じるのはそのような「難しい」ことではない。ただこれらに夢がないというだけである。
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小学生の時、大人になったら素敵な男性と出会って結婚し、子供が産まれ、派手ではなくても喧嘩もない幸せな日々を送るのだと思っていた。そのような生活が理想であり、多くの家庭がそうしていると考えていた。うろ覚えではあるが、周囲の友達も細かな違いはあれど似たような理想を持っていたと思う。けれど、中学校に進学してスマートフォンを持つと、いつの間にかそんな生活は難しいのだと気がついていた。
急速に普及したインターネットによって、今まで受け取るだけだった情報が誰にでも発信できるようになった。各個人が簡単に全世界に向けて意見を述べることができるようになり、ブログ・Twitter・Instagramからカリスマ的な人気を持ったインフルエンサーが生まれている。そして同時にネガティブな意見も発信されるようになった。
家事・育児に非協力的なパートナーに対する愚痴や、男女別姓や教育保障などの整っていない社会制度への批判を毎日のように目にする。
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印象的なのは「保育園落ちた日本死ね!!!」である。匿名で投稿された一人の声から、待機児童問題が浮き彫りになった。
産休後にまた働きたくても、子どもの預け先がないため会社をやめなければならない怒りが感じられ、自分に子どもが産まれた時にこの問題が解決されていなければ育児と仕事は両立できないと知った。他にもそれぞれの家庭で抱えている様々な問題がネット上に投稿され、いっそう身近に感じられるようになった。
ネガティブな実体験に触れるうちに、今後自分が進む道の先を見ているような感覚になる。そして、結婚への願望や子どもを産みたいという気持ちが薄れていった。
情報が気軽に発信・拡散されるようになったのは、良いことばかりではない。若者が家庭や子どもを持つことに消極的になったのは、今の大人たちの嘆きや怒りの声が、若者から希望を失わせていることも理由の一つだと私は思う。
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ネガティブな意見を発信することを完全否定しているわけではない。若いうちから現実を知り、それに合わせた対策を考えられることは、このような意見を見たことによるメリットだと考えられる。そして、一足先に経験した大人たちが問題提起してくれたことで、私たちが当事者になるころには改善される可能性もある。
そのため、ネガティブな投稿自体は積極的にされるべきである。
一方で、そんな言葉を見かけるたび希望が持てなくなり、印象が悪くなることも事実だ。
これが、私が最近感じる「もやもや」だ。若者の結婚や出産への意欲が減少しているとは、数十年前までは当事者の立場にならなけらば分からなかった問題を、インターネットが発展したことで知る機会が増加したということだと思う。
これは、一人ひとりの国民の声が非常によく届く社会になった反動ではないだろうか。