ある日、LINEの通知が来た。
「採用のご連絡です」
これまでいくつかのエッセイを書いてきて、ウェブ上で掲載させてもらっている。
私が書いたエッセイが採用されたようだ。ありがとうございます。

2021年2月ごろ、私はエッセイを書き始めた。きっかけはバレンタインのチョコレートを眺めていた時に、たまたまSNSでバレンタインをテーマにしたエッセイ募集しているという広告を見つけたことだ。エッセイは書いたことがなかったが、丁度バレンタインの思い出を振り返っていたので、文章にしてみようと思った。
その数週間後、エッセイの採用通知が届いた。
まさか採用通知が来るとは思わなかったので驚いた。自分の文章が評価されると思わなかったのだ。

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小学校1年生から高校卒業まで、私の苦手科目は一貫して「国語」だった。漢字の勉強は得意だったが、文章読解が苦手で、テストの度に読解問題でミスをしていた。文脈の意図を読み取る読解力が低かったのだろう。
それを把握し、克服できるよう努力しなければ、と思っていたが、算数や社会など他の科目と違って、国語の勉強の仕方が分からない。反復練習でどうにかなるわけではない。回数を重ねて勉強する方法が私に向いているため、当時はどうしようもないと諦めていた。
せめて、自由な意見を述べられる道徳の授業は頑張ろうと思っていたが、私が解答欄に書いた答えに教師からの赤くて大きな×印があったのを見て悲しくなった。道徳でも正しい答えを考えなきゃいけないのか、と。

文章を読むことと同様に、書くことも苦手だった。小中学生の長期休みの宿題に、読書感想文は必須項目だ。毎回いやいやながら文章を書き、提出していた。
小学校6年生の時に教師にアドバイスをもらう機会があったのだが、そのとき書いた感想文は「すごかった」という文字で埋め尽くされていた。教師は「どのようにすごかったの?それを書いてみて」と言ってくれたが、私は「とにかくすごかった!」と文章をろくに訂正しなかった。私の文章への抵抗が一番顕著に現われていた時期だと思う。

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高校に進学しても、国語嫌いは変わらなかった。幸いなことに、全体の順位は上から数えた方が早かったが、国語に関しては下から数えた方が早かった。
また、初めて受験した小論文模試の結果は、偏差値50に達しておらず、「小論文での大学受験は絶対に避けよう」と悟った。国語に関しても、センター試験は仕方ないとして、二次試験は受験科目に国語がないことを前提で志望校を選んでいた。

文章を避けながら大学に入学した私だが、大学生活は文章から避けられない生活だった。
授業の評価はレポートが中心、宿題で論文を読んでくる、卒業論文執筆が卒業条件……。頑張って入学した大学だが、本当に卒業できるのか、と思った。
実際にこれらの課題には苦戦した。考えていることや学んだことを文章にできない、論文は何を伝えたいのか分からないし、読む集中力がすぐなくなってしまう。それでも、単位を落としたくないから、せっかく入学した大学を無事に卒業したいから、文章を読み、書き続けた。

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そんな日々を重ねて7年。私は大学院を修了した。私は文章を書くことに抵抗がなくなっていた。
3000字のレポートが課題として出されると、文章の大体の枠組みを決め、肉付けをするように文章を書いていた。課された文字数を超えるくらい文章を書けるように、文字数を調節するようになった。
論文も大学院の2年間で、修士論文と3本の査読付き論文を執筆した。自分が研究してきたことを文章にしたからというのもあるだろうが、指導教員が論文の書き方を徹底的に教えてくれたのだ。
まず、文章の骨組みを箇条書きする。研究背景や目的、結論などだ。そしてそれぞれの骨組みについて述べたいことを、更に箇条書きにする。そうすることで、何を述べたいかを隅々まで文字に起こすことができ、それを繋ぎ合わせて文章を作るのだ。
おかげで、文章を書くことに少しだけ自信を持てるようになった。指導教員には本当に感謝している。

現在は、毎週のようにエッセイを執筆している。執筆方法は、論文と一緒。書きたいことを箇条書きに連ねる。それらを繋げ、肉付けをし、文章を作る。論文執筆で鍛えたから、そこまで大変ではない。
自分で言うのもなんだが、「文章を書くこと」が私の武器の一つになったと思う。「武器」は少し言い過ぎかもしれないが、いきやすさを感じるための手段を身につけることができた。
これからどんな文章を書いていきたいかは考えていないが、読んでくれる人の心に何かを残せるような文章を届けたい。