“ブランディング”なんて、芸能人や企業特有のものだと思っていた。『清純派アイドル』とか『破天荒タレント』とか『辛口コメンテーター』のように、世間に印象付けるためのレッテルを貼られ、本人たちはイメージ通りに見せる。一般人には関係ないと思っていたが、最近になってその考えは覆された。
人によく思われたいけど、私は他人に「本質」を知られることに弱い
学生時代は、人にどう見られようとお構いなしな生活を送っていたものの、社会人になってからはそうはいかず、人からどう見られるかを考えざるを得なくなった。
私はどちらかといえば、「明るく元気で活発な、それでいて何事にも物怖じしない人」だと言われることが多い。でも、それは周りにそう見られるような行動を心掛けているから。「なぜわざわざそんなことを?」と聞かれるかもしれないが、勿論、人によく思われたいとか、好かれたいといった気持ちもある。ただそれ以前に、私は他人に本質を知られることに弱いのだ。
多くの人は「あなたって〇〇な人ね」と他者から言われた時、それが実際の自分と異なっている時に遺憾に思うだろう。だけど私の場合は、それが実際の自分と合っている時のむず痒さが苦手だ。それ故、天邪鬼な対応をしてしまうこともある。
生きやすさを求めた上での最善策が「自己ブランディング」だったのだ
小学生の頃に先生に怒られて、内心めちゃくちゃに凹んでいる時「まじめんどくせー!」なんて、気にしてない素振りをしていた。中学で初めて好きな人に振られた時も「まぁそんなに好きじゃなかったし(笑)」と強がって笑っていた。どんなことがあっても、いつも笑顔で明るい楽天家。
そんなふうに過ごしていたら、高校の卒業アルバムには「元気で明るいとわちゃん」「破天荒で楽しい人でした」といった文が並んだ。この時、私は私自身のブランディングに成功していたのだろう。今思えば、寂しいことのようにも感じるが、それが生きやすさを求めた上での最善策だったのだ。
会社に勤めて、上司から印象的なことを言われた。「とわちゃん、これからは女優になるんだよ」という言葉。私は営業職に就いたんだよな…? と思っていると、上司はこう続けた。「素直で純粋な子を演じなさい。怒っている人がいたら自分に非がなくても申し訳なさそうにして謝罪する。そうやって仕事をすれば大丈夫だよ」と。
なるほど。確かに、今までのようなただ元気なだけの女の子じゃ、社会で生きていくのは難しい。これからは仕事とプライベートの二面で、ブランディングが必要だ。取引先の人や上司、同僚によく見られるには…と日々考えながら仕事をしている。
仕事とプライベートで役柄が違い、「本当の自分」を見失いがちになる
普段他人に見せている私と、仕事をする上で演じている私、そして本質的な部分の私。これだけあると本当の自分を見失いがちになるし、他者からの言葉に時折、「本当はそんなに強くないのに」と弱音を吐きそうになる。だから、以前よりは親しい他人には、私の根っこの部分を曝け出すようにしている。
そして、私が私を忘れてしまいそうになった時に助けてくれる人が出来た。私は、これからも自分の本質的な部分を大事にしながら、自分自身を着飾って生きていく。