私は書くことが好きだ。書くことは、自分の感情を爆発させることもできるし、ときに人を悲しませ、同時に笑わせることができる。そんな「書く」という魔法に、私は虜になっている。

しかし、小さい頃から作文などが得意だったのかと問われると、決してそうではなかった。作文コンクールに出展したことはほとんどないし、出展したとしても、もらえるのは「参加賞」のみ。また、自分の文章がクラスの学級通信に載ることだってほとんどなくて、大概は「文才」と呼ばれる人の作文だったり、先生をはじめとした大人にとって心地よい作文が載っていた。

それでも、私は書くことが好きである。
そう思わせてくれたのは、中学1年の担任の先生との「連絡ノート」である。

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連絡ノートとは、次の日の時間割と持ち物を書くもので、このほかに、下の欄に「今日の出来事」として、学校で起きたことや休日の出来事、1週間の振り返りなどを書いて、先生から一言コメントをもらうのだ。

私は、1学期こそ2、3行程度程度しか書いてこなかった。
しかし、当時のクラスというと、授業中は紙飛行機が飛びかうほど学級崩壊寸前と言ってもいいくらいの環境。また、私はクラスの男子から容姿を揶揄われたりなど、軽いいじめを受けていた。いじめを受けていることが恥ずかしくて、家族にもそのことは言えなかった。

この感情を吐き出したい、けれどどこに吐き出せばいいかわからない。そんな時、ふと目に止まったのはあの「連絡ノート」だった。そして、学校で勉強する閉塞感や、揶揄われた辛い思いを、この連絡ノートに書き殴っていった。

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初めこそネガティブなきっかけだったが、次第に「辛い」「恥ずかしい」という感情を素直に表現できる気持ちよさ、解放感を覚えた。

なんていったって嬉しかったのは、先生が毎日コメントを返してくれたことである。当時書いていた連絡ノートの先生のコメント欄は1cmくらいの小さなスペースであるにもかかわらず、小さな赤い文字でびっしり書いてくれた。

そのうち、自分の家で面白かった出来事や友人とのくだらない会話も書くようになった。毎日7、8行を書いていき、そのたびに先生からコメントをもらい、それを読むことが楽しみになっていった。1年の最後には、先生から「自分もこの連絡ノートを見ることが楽しみだった」と書いてくれた。

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そして、今。インスタグラムでそのときのちょっとしたネタを文章を書いていて、友人は私の文章を読んで「めっちゃ面白い」と言ってくれる。また、私の文章を読んで、卒業して5年ぶりに繋がった友人もいた。その友人からも「あの文章を読んで、また会いたいと思った」と言われた。

あのとき、私の「書く」に対して、懸命にペンを走らせてくれた先生がいてくれた。そのおかげで私は感情の吐きどころとしての「書く」があり、自分と人をつなげる手段として「書く」がある。

この文章を当時の担任の先生は見てくれるだろうか。最後にこの場をお借りして、お礼を言いたい。

「あの時は、あまりにネガティブなことを書いてごめんなさい。だけど、先生の小さな赤文字で、私は『書く』に出会えました。ありがとうございました」