毎日毎日マスク。今日もか、とうんざりしながらも、もはや日常となり、見慣れた光景にもなってきた。
街中ではマスクをしていない方が異様で目立つ。素顔を晒すことの方が珍しい。
マスクの下の顔を見られるのは親しい友達。もしくは恋人や家族。同じ職場であっても相手の素顔を見ることなく帰宅することだってあるはずだ。
マスクの下の顔を見たことがあるか。それが親密度を測る新しい基準にもひょっとしたらなるのかしら、なんて思ったりする。
これまではなんてことないカップルが「特別なこと」のように感じた
どこに行くにもソーシャルディスタンスなんて言う注意書きが貼ってあるし、ショッピングだって人との距離を気にしながら。不思議な社会になったな、なんて思いながらきっちりマスクをし、どこに入るにも手に消毒、人数規制のお店では少し待機、人とは適度に距離を取りつつショッピング。
そんな風に1人でフラフラとお買い物をしていると、若いカップルが目に入った。
腕を組み、幸せそうに寄り添いながら雑貨を選んでいた。ぴっとりとくっついて互いに顔を寄せながら笑い合っている。
いいな、と思った。
これまではなんてことない光景だった。恋人や夫婦同士が寄り添って買い物をする。当たり前の景色。独り身の余裕がない時なんて、イラッとしちゃう自分がいたくらい。
だけど、このご時世になり、くっついていられる相手がいるということ。それがものすごく特別な事のように感じたのだ。
人生を共に歩んでいる人が特別な存在に色濃くもなったと実感した
私達は付き合っていて、家に帰れば一緒にご飯を食べるし、一緒のベットで眠る。だから、ソーシャルディスタンスは必要だけれど、私達には意味がない。
その2人からはそんな風な、こんなご時世には負けない特別でやわらかな空気が流れている。そういう風にして堂々と隣に寄り添いあっていられる。
それは2人が特別な関係性であり、互いの時間、生活を共にしているという「愛」を現しているものでもある。それはもちろんお互いがきちんと日々の予防や対策を日頃からしているからこそ成り立っている距離感である。
今回のコロナにより、人と人の関わりというものが薄くなってしまった。距離を取らなければならなくなった。そんな風にしか感じていなかった。
だけど、大事な人や恋人、家族といった人生を共にしている人がより「特別」な存在として色濃くもなったのだなと実感した。
当たり前のようだったふれあいは、尊く、素晴らしいことだった…
お揃いのTシャツ、同じシャンプーの匂い、2人だけの婚約指輪、そして隣にくっついていること。そんな風にしてただそばに居られることが2人を特別な関係だと現し、2人きりの揺るぎない「愛」を感じられるものになってしまった。きちんと毎日マスクをして、極力人と触れ合わないようにし、どこに行くにも消毒をする。
他人や職場では適切な距離を。そしていつだって生活を共にする大切な人とはそばに。
そんなサイクルを過ごしているはずの目の前のカップルが途端に羨ましく、美しく見えた。
最近は誰かと外食にもあまり行けていない。飲み会に行って酔っ払いながら、気になる男の人に手の大きさを測るふりをして手を合わせる、なんてこともできない。
そんな今だからこそ、人生を共にすると決意した特別な人との肌の触れ合いが羨ましく感じる。頬と頬をピタッとくっつけてハグをしたり、膝の上でうとうとしながら手を繋いだり、そんなふれあいを許される特別な誰かがいるということ。それがこんなに尊く、素晴らしいことだったなんて。
私もソーシャルディスタンスを気にしなくていい、常にくっついていることを認めてもらえる大事な人と出会いたい。
今回のコロナで、当たり前のことを願う人肌恋しい乙女になってしまった。