私は自分を表現したいから、誰かに伝えたい、共感して欲しい、自分の考えをまとめたい、今の記憶を忘れたくないから文章を書く。
自分の今を伝えたい、今起こった面白いこと、あるいはおかしなことを伝えたい、そんな気持ちから今起きたことを文章にしてInstagramのストーリーやTwitterについ上げてしまう。自分が伝えたものに誰かが反応してくれたり、共感してくれたりするととても嬉しい。自分の文章が誰かに伝わっているという喜び、少しでも自分の気持ちを共有出来たという喜びを感じることが出来る。

また、自分の気持ちを文章に起こすと、漠然と考えていてモヤモヤしていたことがすっきりすることも多くある。
自分の考えていることを言葉にするのはとても難しい。きちんとした文章にして記すことはただ言葉で言うだけよりももっと難しい。
話すだけならば割とポンポンと口から言葉が出てきたりする。会話は記録に残らない。だからこそ、でまかせのその場限りの言葉が思い浮かぶと場を持たせるためにもどんどん言ってしまう。
しかし、文章は記録に残る。後から見ても恥ずかしくないように、辻褄が合わないおかしなことを言わないようにしなくてはいけない。だからこそ、文章にすることで考えが整理されたり、自分は何をどう思っているのかなどを深く考えたりすることが出来る。

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私はカンボジア教育支援の学生団体に所属している。そこでは文章にして自分の考えを記す場面が多々ある。
先日は、自分はどのような支援をしたいと考えているか、なぜその支援をしたいのかなどを文章にして書かないといけないということがあった。私は漠然と小学校建設をしたいと考えていたが、なぜその支援をしたいと考えているのかと言われるとなかなか上手い理由が示せず、困ってしまった。
そこで理由を考えるために自分の考えを練り直した。自分がなぜその考えに至ったのかということを振り返っていった。

夏にカンボジアに行く前、私は支援することはなんでもいいと思っていたが、実際にカンボジアに行って今まで支援をしてきた小学校を訪問し、小学生と交流したことで考えが変わったことなどを思い出した。
しかし、思い出している過程で小学生と遊んだのは確かに楽しかったが、なぜ小学校支援をしたいという考えに至ったのか思い出せなかった。そこで、カンボジアに行った時に書かなければいけなかった毎日の日記を読み返した。
カンボジアにいる最中は、日記を書いても振り返ることないだろうし面倒だな、と嫌々書いていたが、自分の考えを文章にしてまとめるためにとても活躍した。日記を振り返ったことで私はなぜ小学校建設をしたいと思ったのか思い出せて、満足のいく形に自分の考えを記した文章をまとめることができた。

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文章を書くことで自分の考えをまとめることももちろんできるが、文章を書くことによって忘れてしまっていたその文章を書いたときの自分の考え、思いを振り返ること、思い出すことができる。
どんなに記憶力がいい人でも、全てのことを覚えているということはできない。忘れたくない、忘れないと思ったことでも案外すぐに忘れてしまう。だからこそ、文章に残して振り返れる形にしておくことも大事である。

文章にするということは手間と労力がかかるため、つい後回しにしたり、やらなかったりする。その時はこんな大切なこと忘れないから大丈夫と思ったりもする。
しかし、大抵のことは忘れてしまったり、記憶が曖昧になってしまったりする。だからこそ大切な思い出を記憶として残すためにも、未来の自分のためにも、きちんと文章にして記録することが大事である。
だから私は文章を書く。