文章を書くことが、自分の中で特別に得意なことだとは思っていなかった。
好きなことだとも思っていなかったし、人並みに出来る程度で、特に何とも思っていなかった。
学校の宿題であった読書感想文で評価されたこともなかったし、自分が発信していたことと言えば、SNSで自分の気持ちを書き連ねるくらいだった。

それがある日、幼馴染の友達に言われた一言で変わった。

◎          ◎

「あなたの書く文章は、独特な味がある。そのままその味を残しながら、のびのびと感じたままに書き続けたら良い。これから、もっと文章を書いてみたらいいんじゃないか」と。

友達からしたら、私の文章に何か独特な、刺さるものがあったようだ。
それは、ただ友達の好みに合っただけだったのかもしれない。

自分では自覚も無く、得意に思っていたわけじゃなかったもので、そう人に思われていたのかと驚き、嬉しかった。
同時に、文章力の自信は無く、友達の言葉に半信半疑だった。
それを教えてくれた幼馴染の友達には、伝えてくれたこと、本当に感謝している。
私が自分で見えていなかったところを、フラットな視点でよく見ていてくれていたんだろうと思う。
そんな切っ掛けがあって、私は自分が書けることを書いてみようと思い、「文章を書く」を気ままに始めてみて、今の私が在る。

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私にとっての書くということ、文字にするということは……。
普段から私の場合は、その場の状況に応じてアドリブで話すよりも、予め伝えたい事を文字に起こして整理して、文字で伝える方が、自分の言いたい事が伝えやすいし、相手にも伝わりやすい。

例えば、仕事でも、疑問点やタスクなどを常にメモをするタイプだ。
そうしているのは自分がすぐに忘れてしまうからだ、と周りには伝えているが、そう文字にする事で、頭の中が整理されるという利点もある。
それは、今この歳になってようやく分かってきた、自分のスタイル。
その方が自分には合っているということ。
だから、普段から「文字にして書くタイプ」なのかもしれないと思う。
嫌な事、自分の中で思うこともありのまま、思うままにノートに書き綴るのが良いと説いた本を読んだことがある。

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頭の中で、ぐちゃぐちゃと考え続けていては、頭の中がパンクして発狂しそうになるのだ。
それでは、同じ一点をグルグルと考え込んでしまって、そのループからは中々出られない。
そうすると、日常にも負の連鎖が起こる。

大人なので、人前で毎日発狂もしていられない。
だからそういった時に私は、文字でありのままの気持ちを殴り書きする。
気が済むまで、思う事を書き続ける。
そうする事で、少しは気持ちがスッキリすることもあるし、後から見直した時に、視覚的にも、自分はこう感じていたのだなと、少し遠い目線で自分を見る事が出来る。
あとは、その感じたことをそのまま認めてあげればいい。
それだけでいい。
それはノートに書いてもいいし、ノートに書けない時はiPhoneのメモに残していたりする。

そうやって、私は自分の想いを「文章を書く」ことによって、ありのままの思いを吐き出し、振り返って自分を見つめて、昇華、または浄化させているんじゃないかと思う。