私は文章を書くことが好きというか、得意というか、抵抗がないと書いた方が合っているのかもしれない。
そう思っていた。
何故かというと、小さい頃から、暇があれば何か書いていたとか、ずっとそれに打ち込んでいたような記憶がないからだ。
ぽつり、ぽつりと気が向いたら、ノートに見たアニメの感想を書いたり、年頃のポエムのようなものを書いていた。
きっと、ゲームをしたり、テレビを見ている時間の方が多かったと思う。
思ったことを吐き出す、忘れないようにするために、文章を書いていた。

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それがある日、文章だけれど、今までの想いを綴る文章とは違う、物語を書きたいと思うようになったのは、きっと、物語を書くことに熱意を注ぐ友達が隣にいたからだ。
友達の姿を見て、自分でも小説のような物語を書きたくなったのだ。

本はよく読んでいたし、きっと、その時の私は、物語を書くことを面白そうだと思ったのだろう。
実際、書いてみて、それはそれは楽しかった。自分の需要に合った、自分の“好き”がたくさん詰まったお話は、やっぱり面白くて、私を肯定してくれた。

だけど、未熟なところはあって。
話の流れの中で、ぐにゃりと捻れる感覚になる箇所が出てくるのだ。
上手く言葉で言い表せないけれど、前後の文章でなんとなく、合わないような、真っ直ぐじゃないような、そんな感覚になるところがある。
どうやったらそこが真っ直ぐになるのか、
私はまだ、試行錯誤中だ。

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そんな未熟さを抱えながら、周りを見ると、きちんと違和感なく読める文章を友達は書くのだ。
熱を注ぎ、進路までを物語に捧げ、私はそれを見て、文章を書くことが好きと言っていいのか、分からなかった。
元はといえば、まねっこで始まったようなことだ。
文章を書きたい気持ちも、まねっこだったのかな。
そこまで考えたところで、私は、物語があまり書けなくなった。

代わりに、物語以外のものを積極的に書くようにした。
物語や文章を書きたい気持ちに自信が持てなくても、文章を書き続けたのは、文章の近くにいたかったからだ。
書くことが好きな気持ちに自信がなくても、読むことはやっぱり好きだったし、本から知らないことを知るのは楽しい。
素敵な言い回しや単語を見つけると、心が踊るし、悔しくなる。
私はやっぱり書きたいのだ。

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私は、感想を書くタイプのアンケートハガキや、講演会の進行台本のようなものも書いたことがあった。
その時に、ハガキに書いた感想が雑誌に載ったり、台本を褒められたりして、嬉しかった。
それは、私の自信になった。
物語が上手く書けなくても、私は、日記や感想など、出来事や自分の想いを文章にすることや記事やエッセイの方が向いているのかもしれない。
そう思って、今度は気が向いたらではなく、改めて毎日やると決めて日記を書き始めた。

また、興味のある分野の記事を募集しているのを見つけた時に、応募したりもしてみた。
すると、自分が応募したものが採用されたのだ。嬉しかった。
担当さんとのやり取りも、一緒にものを作っている気分になって、とても楽しくて、なんだか自分のこの気持ちはまねっこじゃないなと思った。

まねっこだったら、きっと、自分に向いてる文章のジャンルを探してみたり、記事を応募したりまで、いかないんじゃないかと思う。
そう思ったら、私は、文章を書くことが好きな気持ちが、やっと自分のものになった手応えを感じた。

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私は、やっぱり文章を書くことが好きなのだ。
言葉の響きや、言い回しの多彩さ、それらに触れてわくわくするこの気持ちは、私だけのものなのだ。
わくわくする言葉や言い回しで、私も書きたい。
書きたいのだ。