物心がついた頃から、文章が好きだった。
整理された言葉で、本音を伝えることができる。
どんなに長くなっても怒られない。
瞬発的に話すと誤解を生んだり、支離滅裂になりがちな私にとって、文章はいつでも味方をしてくれた。

言葉を形として残せるところも大好きで、学生時代は手紙を書いたり、サイトに感想文を寄稿したり、好きな歌詞をノートに書いては、お気に入りの一節を何度も眺めたりしていた。

何気なく書いた作文が、取り柄のない私に少しの自信をくれた

そんなある日、中学2年生の私が書いた読書感想文が入賞した。夏休みが終わるギリギリに書いた大して力作でもない感想文が。まさかの出来事だった。
それまで文章がうまいなんて思ったことは1ミリもないし、入賞といっても大賞を獲ったわけではない。でもこの出来事は、私に少しの自信をつけるには十分だった。

それまでの私は、バスケ部の試合はいつも補欠。習っていたダンスのポジションは一番後ろの端っこ。趣味だった絵も、何気なく描いた友達の絵の方が断然うまくて、得意だと胸をはれることなんて何ひとつなかった。

周りが特技を見つけていくなかで、私だけが何もなく取り残されていく。そんな気がして、何の取り柄のない自分が心の奥底でずっとコンプレックスだった。
だから好きだった文章で選ばれたこと、それがとにかく嬉しかったのを覚えている。

さらに弾みをつけたのは高校2年生の夏。税について書いた作文が市の大賞を獲った。この出来事は、私の将来の夢を「脚本家」にしてしまうほど大きなことで、やりたいことの見つからなかった私に、少しの希望を見出してくれた。

まあ結果的に、高校3年生でマスメディアの仕事に興味をもってしまい、脚本家の夢は破綻。メディア系の4年制大学に進学し、就職活動も広告業界を志望した。

就活でボロボロになった私を救ったのは、文章の仕事だった

実は、就職活動の時点で広告業界を強く志望していたかというと、そうではない。なんとなくクリエイティブに携わりたかったから、それが実現できそうな広告業界を志望しただけで、「有名なクリエイティブディレクターになってやる」とか、「ヒットを生み出すプランナーになる」とか、そんな明確な夢は持ち合わせていなかった。

大学に4年間通っても、イマイチ何がしたいのかわからない私を、企業は「ビジョンがない」と容赦なく落としていく。「クリエイティブがしたい」の一声で、どこかが拾ってくれるほど甘い世界ではなかったのだ。

受けては落とされ、受けては落とされる。就職活動が進むにつれて、私は中学の頃と同じように「何もなく取り残されていく自分」にコンプレックスを抱くようになっていった。

採用活動も後半戦を迎える頃、私はなんとか人材系企業から内定を獲得した。「人材営業としてやっていくのか」とうっすらと覚悟はしていたものの、配属されたのはまさかのウェブメディアを運営する部署だった。

意図せずウェブ記事を企画・編集をする仕事に就くこととなった私。このような仕事に就くなんて夢にも思っていなかったが、文章での表現を考えること、構成を練ること、編集すること、どれもすべて想像よりもはるかに楽しかった。

周囲からも「柴田さんの記事いいっすね」と社交辞令かもしれないが褒められることも多く、私の自尊心は社会人3年目にして見事に回復。言葉を綴るたびに自分に自信を持てるようになった。

どうしようもない私は、文章に生かされている

だから、私にとって文章を書くということは、誰のためでもなく自分の存在価値を肯定する行為だ。書くたびに、自分のことが少し好きになって、ありのままで生きていいと思える。
だから、私はこれからもこうして、自分のためでもある文章を書き続けたい。

得意なことがないと落ち込んだとき、自信を持たせてくれたのは文章だった。
やりたいことがないと焦ったとき、楽しさを見出してくれたのもまた文章だった。

どうしようもないときに、文章は相変わらず私の味方をしてくれる。私はきっと、文章に生かされているのだと思う。