マイノリティがマジョリティに無言で淘汰されてしまう現象・同調圧力。
言いたいことが言えない。周りの意見に流されてしまう。みんなと同じでいたい。集団から弾かれたくない。日本人特有の空気感だとよく聞く。

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私自身も、昔からこの“空気”にずいぶん苦しめられてきた。
たとえば学生時代。新学期、あっという間に教室の中で生まれていく幾つかの輪のどこかに上手く入れるよう、ひどく慎重になった。間違えないように、かつ自然にそこに居られるように。
けれど不器用で内向的な私は、輪の形をいびつにさせてしまったことが何度もあった。「私なんてここに居ない方がいいんだろうな」と内心思いながら、薄っぺらい愛想笑いを必死で取り繕った。居たたまれなさを感じつつも、独りになる勇気は持てなかった。教室でぽつんと過ごすことの方が、よっぽど恥だと思った。

通っていた高校は、地域では進学校扱いされている学校だった。将来のことなんて何も具体的に思い描けてはいないにもかかわらず、周囲の空気に気圧される形で、私は闇雲に受験勉強を始めた。親が元々教育熱心なタイプだったから、「勉強は継続的にやるもの」という考えが固定観念として根付いていたというのもある。
とりあえず、勉強しておけば大丈夫。とりあえず、高ランクをキープしておけば大丈夫。何かの呪文を書くかのように、ひたすらノートに数式や英文を走らせ続けた。

結局、大丈夫ではなかった。
高校3年生の夏、自分の中で複雑に絡まり合っていた糸が、一斉にぷつんと切れた。意味を見出せない受験勉強も、馴染めない教室も、全てがどうでもよくなった。
その後、数ヶ月の不登校期間を経て、私は学校を辞めた。

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性格も嗜好もバラバラな40人弱が詰め込まれた、教室という狭い箱。
でも、ただの箱じゃない。そこは小さな“社会”だ。
社会の中で変革を起こす行動力なんて、10代の私は持ち合わせていなかった。順応することが正しいことだと盲信していた。

でも、大人になった今でも思う。
もう少し、呼吸がしやすい場所になっていたらどんなに良かっただろう。何かを無理に変えようとせず、自分が自分のままでそこに居られたら。

そして、かつての私と同じように教室の中で苦しんでいる子どもたちが今もいるんじゃないかと思うと、心が痛くなる。とても、他人事とは思えない。
私は耐えきれずに逃げ出してしまったけれど、中には我慢し続けている子もいるだろう。誰にも本当の気持ちを言えず、偽物の愛想を振り撒いて。

教室という場所が昔も今も変わらないのであれば、せめて、肩身の狭い思いをしている子どもたちがすっと力を抜ける空間が他にあってほしいと願う。
物理的な場所でなくてもいいと思う。顔の見えないオンライン上でもいい。本や映画などの架空の世界でもいい。自分が自分のままでいられるひとときがあるだけで、日々の中にはきっと煌めきが生まれる。「楽しい」と思える瞬間が少しでもあれば、それは明日を踏み出す一歩に繋がる。

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今ここに書いていることは、空気に飲まれて、自分を見失って、生きることを諦めようとした過去の自分への手紙ともいえる。
学校を出た後も、正直苦労した。社会人になっても、場所が学校から会社に変わっただけで、似たような成分が空気中には漂っていた。「あのとき死んでればよかったな」と、高3の夏に焦がれた場面が何度もあった。
でも、それもまた過去の話だ。

歩いてきた道を振り返ると、確かに美しくはない。ただ、歩みを止めなくて良かったとも思う。相変わらず思い悩むことは多々あるけれど、日々の中にある自分にとっての煌めきが何なのか、今はわかるからだ。もっとわかりやすく言うと、自分にとっての生きる意味が明確だ、ということだ。

「そんなこと言われても、私は今この瞬間に悩んでいる」と、人知れず呼吸困難に陥っている子どもたちは、声にならない声で叫ぶのかもしれない。
そんな、今を必死に生きる子どもたちにとっての「心の拠り所」を、私がこの手でつくりたいという気持ちも実は密かに抱いている。

自分にできることは何なのか、私はずっと考え続けている。