きっかけは小学生のとき、人権作文で佳作に選ばれたことだったと思う。
私は文章を書くのが上手なんだ。幼い私は有頂天だった。そしてそれを今も引きずっているだけだと思うが、私は文章を書くのが大好きなままだ。絵も上手くなく口下手な私にとって、書くことが最も得意な自己表現の術である。

忘れもしない、小学四年生の三者面談で、私は当時の担任と親に向かって「将来は小説家になりたい」と目を輝かせて語った。大人たちは存外優しく、決して否定はしないでくれた。
あの時はっきり「無理だ」と言われていたら、私は有頂天から引きずり下ろされていたことだろう。今では文章を読むのすら嫌になっていたかもしれない。大人たちの優しさに感謝するばかりだ。

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しかし今の私は、幼い少女の夢がはかなく散ったことを知っている。出版社の賞に応募した拙い作品は当然評価されることはなかったし、来年には一般企業の事務職として就職することが決まっている。
小説家にはなれなかった。当時にしてはちょっと文章を書くのが上手だっただけで、目を見張るような作品を生み出すほどの才能がなく、自分より綺麗な文章を書く人の方が世の中には多いことを知った。

高校のとき、文芸部の友人が部誌に書いた小説を読ませてもらい、読みやすく引き込まれる作品だったが、なんだか悔しくて素直にすごいと言えなかったのを覚えている。プライドだけはいっちょまえだったのだ。むくむくと育ったプライドは思春期の脆い自尊心を内包して、「自分は面白いものを書ける」と思う割にそれを誰かに読んでもらうのはひどく怖かった。
面白いものを書くには面白いものを読まなくてはと、自分では努力のつもりで始めた読書も今ではただの趣味になった。もともと本を読むのは小学生の頃から好きだったし、家族も読書家な方だったので、努力として始めたというより、勉強そっちのけで没頭していた趣味に新しく意味を与えたにすぎないと言った方が正しいかもしれない。

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そうしてもっぱら読むばかりになって幾年も過ぎた。自分が何かを書くことからはすっかり遠ざかってしまった。断捨離の際に発掘した、小学生の頃自由帳に書いた小説を久しぶりに読んでも恥ずかしいだけだった。
ところが数年前に体調を崩し、床についている時間が長くなった。意識はあるが食事とトイレ以外は動くのも億劫で、寝ているか寝ていないかわからない時間が長かった。大好きな読書もする気になれなかった。
どうしてこんなつらい思いをしなくてはいけないのかと、本当に毎日人生を投げ出したくて仕方なかった。

徐々に回復し、まだ出来ないことの方が多いけれど、ひとまず人間らしい生活ができるようになってきた頃、日記をつけることにした。今の心情や苦しみが、いつか何かの役に立つかもしれないと思ったのだ。こまめに記録することで、ちゃんと健康になってきている自分を可視化したいという考えもあった。

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日記は誰に読ませるものでもないので、気楽に書いた散文で毎日埋まった。筆まめな性分もあって書き忘れることは一日もなかった。
不思議とどんどん健康になった。日記を書くのが楽しみになった。文章を書く楽しさを思い出した。見えなかった自分の感情や思考が文字となって目の前に現れる度に、心が軽くなっていくようだった。自分の思考の癖や認知の歪みにも気づけた。

文章を書くことは、生きていくうえで不可欠になったし、今も昔も人生で最上の娯楽である。昔と違うことといえば、それを誰かに読んでもらえたら嬉しいと思うようになったことだろう。
自分という人間が確かに存在していて、こうして何かを書いている。健康になるにつれて、それを誰かに伝えたくなったのだ。