「アマランサスには不滅という意味があります。なつめちゃんはいつまでも素敵な人だろうなとピッタリだと思って選びました。」
メッセージが、親友が誕生日プレゼントにとくれたフレーバーティーに添えられていた。
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初めて聞く大切な親友が私のために選んでくれた花に興味を持ち、早速インターネットで調べてみた。一番上に表示されたのは「粘り強い精神、忍耐力」だった。不滅ではないのか。
いくつかのサイトを巡ってみると、日本と海外で花言葉が違うようだと分かった。私が初めに見たのは日本ので、親友が贈ってくれたのは海外の花言葉だった。
いつまでも変わらないことを、海外では不滅と言い、日本では粘り強いという。一方は永遠に衰え色褪せることはないといい、もう一方は厳しい環境で耐え続けるという。
同じことのはずなのに、どうしてこうも考え方が違うのだろうか。どうして日本は苦しみが美徳だとでも言うような表現をするのだろうか。
二つの考え方は瑞々しい美魔女と、干からびた枝みたいな白雪姫の魔女のように似て非なるものだ。
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不思議だな、でも、日本らしいなと思いながら、ガラス製のティーポットにお湯を注ぐ。ゆっくりと茶葉が開いて、色素が透明な湯に溶け出していった。
絵具の黄色ほど主張が強くなく、かといってクリーム色のような白濁感もなく、黄金色というには気が引けるくらいの、慎ましく澄み切った、見た人を包み込むような色をしていた。
私はこの色をなんと表すのか知らない。付け焼き刃の知識でいうなれば、浅黄肌色、女郎花色あたりだろうか。でもしっくりとはこない。透明なお湯が別の透明になるのを待って、カップにそれを注いだ。
ゆっくりと口元に近づける。湯気が鼻にかかるとイメージとは違う香りに一瞬戸惑った。何気なく見かけたものに、 興味 や 関心 、驚きをもって慌てて見直すことを二度見というなら、香りは二度嗅ぎと言えばいいだろうか。
より丁寧に香りを確かめようと口に含む。味を感じるより先に確かめるまでもなく、ハッカのような香りが鼻を抜けていった。
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見た目に反してなんと爽やかなお茶だろう。そこには美魔女の怪しい艶やかさも、毒林檎を持った魔女の不気味さもなかった。雨上がりの太陽の光を浴びて風に揺れる草原のようで、雪の早朝にツンと鼻を刺す空気のようでもあった。温かさとはほど遠いスッとする香りなのに、不思議と生命の温もりを感じさせる何かがあった。
日本であれ、海外であれ、永い時を感じさせるアマランサス。でも、それは一年草らしい。
ひと冬の間、萎れずに咲き続けている。だから不滅。だから粘り強い。なんと儚く脆い永久だろう。
私は日本が好きだ。おもてなしの心も、畳の香りも、伝統的な文様も、もちろん茶道も。「粘り強い精神、忍耐力」に感じる修業的苦しさも、きっと100%否定的な意味ではないのだろう。日本らしい繊細さや儚さ、奥ゆかしさに勤勉さ、あの花言葉はそれらの裏返しのように私には感じられる。
一方で、日本では鼻白まれてしまいそうな、あのギリシャ語のオシャレで少しキザな花言葉も悪くないと思う。
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親友が言ってくれたようにいつまでも、死ぬまで素敵な人でいられる自信はない。むしろそういられない自信しかない。
それでも、きっと魔女達が私に魔法をかけてくれる時は来る。だからアマランサスのように、一年でも、もっと短くても、咲き誇れる時があるのなら、その時まで私は美しく粘り強く耐えていこう、いや耐えていける。耐えている期間は辛く長く感じられるだろうけれど、永遠ですら儚いものなのだ。
きっと大丈夫。そしてそれを乗り越えた時、未来の私は瑞々しく輝く。そう私は未来の私を信じる。