私は、話して他者に気持ちを伝えるよりも、書いて伝える方が得意だ。
書くことが苦手だという人もいるので、人それぞれなのだと思う。
私は、学生の頃から書くことが得意で、いつも“書くこと”が身近にあった。

小学生のときには出来事を何枚もの原稿用紙にまとめていたし、中学生からは勉強したことをレポートにまとめていたし、社会人になってからも自分が行ったことを記録に残さなければならない。SNSが普及した現代では、メッセージのやりとりや思い出を世の中へ発信することに、書くことというのは必須になってきている。

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言葉というものに魅力を感じ始めたのは、いつからだろうか。
一つの出来事や一つの風景を切り取っても、それを表現する言葉は十人十色だろう。それが表現の難しさなのかもしれないが、同時に言葉で表現することの楽しさを感じるのだ。
綺麗な青空を見上げるたびに、この空をどう表現したらより正確に、より美しく他者に伝わるのかと考えてしまう。書くことのために考える時間も楽しいと思える。

そして言葉の持つ力というものを知ったのも大人になってからだ。
言葉ひとつで人の感情を左右できる。人生すらも揺るがすほどの力を持っている。
読書をして憧れの人の人生観に感銘を受けたり、生きる活力をもらったりする。
言葉で感情が大きく動かされた瞬間、言葉の力は偉大だと実感するのだ。

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私は直接、言葉で伝えるのが苦手であるがためにストレスを溜めることが多い。
そんな時、日記に言葉として残す。
感情は1分1秒という単位で急に変わっていくものである。

その時の言葉はその時にしか書けない唯一無二のものだったりする。
言葉にすることで自分の思いを表出して、ストレスになりうるものもそっとそこに置くのだ。話すことが出来なくても、書いてみると意外と言葉になるものだ。

日記には嫌なことばかりを書くのではなく、この先ずっと忘れたくないことも書いている。
その時の思いや感情はすぐに忘れてしまうことに、時々悲しくなることがある。
せめてもの思いでその日に感じたことを日記に閉じ込めている。
人にしてもらったことを忘れずに、恩返しが出来るようにという思いもある。
それを読み返したとき、幸せを感じたり、また頑張ろうと思えるのも特大のメリットだ。

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私が書くのは自分のためだけでない。
お世話になった人には必ず手紙を書いて渡している。
手紙にするとより一層気持ちが筆に乗る気がしているからだ。
普段、伝えきれない思いですら躊躇なく伝えることができる。

いま書いているエッセイも始まりは、人から貰う言葉の力を知ったからだ。エッセイ本を読んで心を動かされ、私も誰かへ伝わって感情が揺れるぐらいの言葉を書いてみたいと思った。

今では、自分の気持ちを表現する一つのツールともなっているが、いつか私自身も誰かの力になるような言葉を発信していけたらと思っている。
いつかこの文章を読み返しても、その心だけは忘れていて欲しくない。
そんな思いを胸に、今日も私は文章を書いている。