自分のことは、案外、自分がいちばん分かっていなかったりする。
行き悩んだ時、物事がうまくいかない時、何らかの感情が消化できない時……。私は壁にぶつかると、文章を書く。文字を通して、自身の気持ちや置かれた状況が客観的に見えて、自然と自分を整理できるのだ。たとえ問題が解決しなくても、モヤっとした何かが解消される。
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文章を書くようになったのは、15年以上も前。私はまだ、高校生だった。
当時、6人のグループで学校生活を過ごしていた。進学校に入学したものの、勉強についていけず、追試や補講に明け暮れる日々。毎日、落ちこぼれた同志と長い時間を一緒に過ごしているうちに、仲が深まった。
「そろそろ、逃げちゃおうよ」。放課後、追試や補習をボイコットして、カラオケやゲームセンターに出かけるサボりの共犯者でもあった。先生からの叱責を臆せず、“華のJK”を全うしようとする私たちは、周囲から一目置かれていた。勉強はできなくても、高校生としては勝ち組。どこかで、変な自信を持っていたように、今は思う。
いじめは、突然始まった。はっきりした理由は、分からない。いつものように、友達が集まる輪に近づくと、話が中断され、ひとり、またひとりと去っていく。話しかけても、無視。ほかのクラスメートは知ってか知らずか、距離を置いて、どこか面白おかしく傍観している様子だった。
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すぐ、元通りになるだろう。最初は、めげずに普段通りを装った。一向に状況は改善せず、私は“透明人間“になっていった。
季節が変わる頃、何に対しても興味が沸かなくなり、楽しいと思える時間がなくなっていた。訳もなく涙が流れる時もしばしばあった。学校に行くバスに乗れなくなった日、自分の異変にようやく危機感を覚えた。
母子家庭で、仕事に家事に忙しい母を心配させたくないと、これまで相談事をしたことがなかった。だけど、この時ばかりは限界だった。「学校に行きたくない」
「もう、行かなくていいから」。母はいちばんの味方になってくれた。学校に行かなくてもいいよう、心療内科を受診するよう促した。診断書に記された“適応障害”の言葉に、ショックを受けた。
私は社会に適応していない。いじめられているのは自分のせいだ。
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とめどなく溢れてくる黒い感情の吐き出し口になったのは、インターネットだった。「消えたい」「人付き合いが下手」「いじめられる人が悪い」。自身の感情に近い言葉を、とにかく検索した。すると、同じような経験をした人のエッセイや日記が次々とヒットした。
気になるページを手あたり次第、読み漁った。私は、ひとりじゃない。共感と安心感を得た。
いつからか、書く側になりたいという思いが芽生えた。軽い気持ちで、日々の出来事や感情を、ジョークを交えてSNSに書き始めた。「これ言ったら、どう思われるだろう」。会話では、つい隠してしまう自分の色を、文章の中では不思議とさらけ出せた。
逃げ場を見つけた私は、ほんの少し、強くなれた。自然と、学校に行けるようになった。
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皮肉にも、文章を書く力を能力として発見してくれたのは、いじめていた友達だった。
「よく、そんな面白い文が書けるね」。たった7行の学級日誌で、人の感情を動かせたのだ。
いじめられてから、心のどこかで自分を否定し続けていた。ようやく、社会に受け入れられた気がした。
私って、文章が書けるんだ。そんな勘違いを本気に、大学は文章を書く機会の多い学部に進学し、卒業後はライターの仕事に就いた。一気に、道が拓けた。人生、何がきっかけになるか分からない。
何かの広告で「文章を書く行為は、命を削ることでもある」とあった。確かに、生きていると辛いことや悲しいこと、寂しいことがたくさんあって、言葉にしようとするだけで、労力を要する。だからこそ、誰かが汗水垂らして生み出された文章は、時に人の心に寄り添い、支えになってくれるのかもしれない。
私は今日も言葉を紡ぐ。かつての自分のような思いをする誰かに、手を差し伸べられると信じて。