社会人になってもうすぐ3年目を迎えようとしている。他にこれが意味することは、私が意識して文章を書くようになって、そろそろ3年が経つということだ。

文章を書くことを意識し始めた発端は就職だ。私は田舎のOLになり、都内でのキラキラ大学生活とはかなりかけ離れた生活を送るようになった。
田舎への就職は自分が選んだことであるし、後悔をしている訳ではないが、どうにも寂しく、そして学生時代が恋しくなることが多々ある。
そんな時、会社とは違う他の繋がりを持ちたいと考え、始めたことがこのエッセイ投稿による「文章を書くこと」である。

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なぜ「文章を書くこと」だったのか。それは単純なことで、まずコロナ禍のために家の中でできることで、何度か友人や家族から書いた文章を褒められた経験からの自己陶酔によってである。

もともと文章を書くことは好きで、光栄なことに学生時代から何度か地区の賞なんかをいただくことはあった。けれども当時は、文章を書くことへ何ら執着もなく、授業の一環として、あるいは宿題として「書け」と先生から言われていたから書いていたのであって、自発的に文章を書くことはなかった。

しかし社会人となり、人との交流や移動を制限された環境で私が救いを求めたのは、「文章を書くこと」へであった。それは恐らく、文章を書くことによって生まれる自己表現を超越した精神統一を求めたからだろう。

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文章を書いている間、正に今この瞬間もそうだが、自分の考えをそして心を統一している感覚が常に寄り添っている。文章を書いている間、私は限りなく無の状態に近づき、ふかふかの布団に身を預けているようなリラックス状態さえ感じる。

慌ただしい日常から離れ、自分と対話し、考えをまとめていく。それは決して今のことでなくてよく、過去や未来についての対話でもいいのだ。今の私が何を考えているのか、そんな今を体現してくれるものが「文章を書くこと」であったのだ。

今日の文章は今日にしか書けない。昨日の私は違う文章を書いただろうし、明日の私はまた違う文章を書くだろう。「文章を書くこと」の面白みはここにあると私は思っている。今の自分が何を考え、どう表現し、どの言葉で精神を統一させるのか、文章を書いた自分でさえ予測不可能な領域があるのだ。

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就職で、そしてコロナ禍で「文章を書くこと」の虜になった私は、今後の展望を持つようになった。それは、物語を書いてみるということ。今まではエッセイを書くことしかしてこなかったため、全てが自分の経験に基づくものであり、主人公はいつだって自分だった。次は、自分の中で新たな主人公を創ってみようか。

文章を愛する者としてそろそろ芸歴3年目に突入するし、新たな文章へ精神統一の道を開いてみてもいいのかもしれない。まず何から始めればいいのかも分からないし、暗中模索であるが、それもまた面白い。

もちろんエッセイを書くことも続けていく。
未熟な私に精神を統一する機会を与え、そして新たな知見を深めてくれる、私はこれからも「文章を書くこと」を愛するだろう。