私は最近文章を書くことに、以前よりも気持ちを乗せるようになった。なぜなら、大学生になり、上京し、ひとり暮らしを始めたからである。
大学生になったら県外に出て、様々な経験をしてみたいというのが、子供の頃からの憧れであった。その憧れをかなえるために勉強、学校生活に全力で取り組んだ。結果、志望の大学に合格することができた。

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上京するまでは、引っ越しの準備に期待や希望を抱き、ずっとわくわくした気持ちであった。しかし、引っ越しを終え、両親を見送り、ひとり暮らしが始まると、今まで感じたことのない寂しさから涙を流すことも多かった。
私にとって家族がそばにいたことはとても大きな存在であり、安心感であったのである。

そんな時、私の助け船は、スマホで送ることができる家族間でのメッセージ機能であった。今スマホで電話することもできるが、私も家族も時間が合わない、仕事、勉強が大変で時間がないことが多々あるため、少しの時間で入力でき、すぐに送ることのできるこの機能は、心の支えになった。

家族間では、メッセージ機能について2つの約束がある。
「朝起きたらスタンプを送ること」と「バイトなどで遅い帰りになる時は、家に着いたか連絡すること」である。これをする事で、家族は私が元気にしているか、生存確認をしているそうだ。

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この家族間でのメッセージ機能を使うときは、家族間の業務連絡、自分が伝えたいことがあるとき、家族に伝えたい面白い、感動することがあった時に用いる。このメッセージ機能のみで、ほとんどの家族間での会話を済ませてしまうので、このメッセージ機能は私の家族間ではとても重要な役割を果たしている。よって、この文章についてより気持ちを込めて書く傾向にある。

家族だから言える何気ないことも、文章で表す。帰省して家族と久しぶりに会話したときは、文章で話している時よりも当然話す内容は増えるが、家族といると使わない家族間でのメッセージ機能に少し寂しさを感じることもある。メッセージ機能を使って、文章を書き、家族と連絡をとることは、自分の中であたりまえ、ルーティーンになっていることがわかる。

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また、小学生の頃から今までの文章を書くことについて振り返ると、とても大きな変化がある。
小学生の頃は、1週間に2つは作文を書かされていたほど、文章を書く機会が多かった。この頃は、作文を書くのが好きで、日記を書いたり、友達と交換日記を回していたりもした。小学生の頃は、習っていない漢字が多く、習っていない漢字は、ひらがなで書くのが当たり前で、その書き方も今では可愛らしいなと思う。この時の気持ちの表し方は、「楽しかったです」「うれしかったです」など、感情をそのまま書くことが多いと感じる。

中学生になると、文章の書き方に違いが出て、書きたいことにプラスして、自分の中で「未来」につながることを書こうとしていたことを覚えている。例えば、体育祭の感想なら、「来年はもっと応援を頑張りたいです」といったことである。

高校生になると、感情をそのまま表すのではなく、「楽しかったと感じる」などと段階を入れて丁寧に表すことが増えたと感じた。最後に、今現在大学生の私の文章の書き方は、「~と思った」「~と考える」など、より客観的な角度から気持ちを表すことが多くなったように思う。

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このように振り返ってみると、自然と文章の書き方、自分の気持ちの表し方は変化していることがわかる。
文章を書くことは、自分の成長の変化にも気づかせてくれる存在であり、これからもおばあちゃんになるまで、書き方は変化していき、自分のアイデンティティとして残っていくものであると考える。