文章を書くことは、過去の自分と向き合うことである。
私が文章を書くようになったのは、ほんの数ヶ月前のことである。それまではと言うと、文章を書くどころか、自分の心と対話することから逃げていた。

ある時、一人の存在が私を過去と向き合わせてくれた。それが今の彼である。そんな彼との出会いを「文章」で残してみようと思う。

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なんとなくだけど自分が嫌い。
この漠然とした自己嫌悪に支配されたまま、なんとなく20歳を迎えてしまった。自分のことすら愛することができない私なんか、他人を愛したり、恋をしたりする資格なんてないと思っていた。20歳の誕生日には、ああこれから一生独り身なんだろうと悟った。

だけど、人間の社会は面白くできていて、自己嫌悪でいっぱいになった私を好きになってくれる人が現れた。
彼から熱烈なアプローチを受けてはや2ヶ月。彼の人柄と、ちょっと変わったところに次第に惹かれていった。そして夏の終わりに告白された。

あんなに惹かれていたはずの彼なのに、嬉しいはずなのに、なぜか告白の返事が喉の奥でつっかえて出てこない。答えは決まっているのに。
深呼吸したら言えるかな、お酒の勢いに頼ってみよう、思いつくできる限りのことは試してみた。でも、どんな方法を試しても、その言葉が出てくることはなかった。
そんな私を見て、何が言葉を詰まらせているの?一緒に考えようと言ってくれた。

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最初は日常のなんて事ない話、家族の話で盛り上がった。そのうちに大学、高校、中学と振り返って、今までのことをたくさん話した。部活のこと、友達のこと、楽しかったこと、挫折、失敗。隠し立てせずに、私の人生の全部を。

そうして中学まで振り返った時に一瞬で視界がぼやけた。蓋をして無かったことにしていた記憶の欠片の一つ一つが蘇ると同時に、今まで堪えていた想いと涙が溢れた。
すると彼は、悩みと向き合うには、考えを言葉にして、目に見える形にしないといけないと教えてくれた。

私は中学校生活で何もかもがうまくいかなかった。部活は人間関係のトラブルに巻き込まれて幽霊部員になったし、好きな人からは容姿で笑いものにされ、学習塾の先生には罵倒され限界が来ていた。中学時代の嫌だったこと全てから目を背け、自分のせいにすることで解決した気になっていた。

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彼と一緒に言葉を紡いで傷を整理すると、私を長年悩ませてきたものが段々と見えてきた。
部活に行けなくなったのもいじめっ子のせいだし、容姿いじりや、パワハラは相手に非がある。話を聞くと明らかに相手が悪いのに、その要点すら思い出すことをやめ、思考することを停止していたのだ。

もちろん自分が悪かったところもあるだろうけれど、それは14、15歳の私だ。当時の私と今の私は違うと彼は教えてくれた。当時の私が思っていたことと、今の私が当時について考えることを文字に起こしてみると、物事の捉え方が違った。
私は成長して大人になったのだ。

では、私が告白に返事をすることができなかったのか。それは自分の中学の思い出を清算できていなかったからだと気づいた。嫌だった記憶の全てを自分のせいにして塞ぎ込んでいた。だから彼と付き合うことで、私が彼に何かしてしまうのではないか、私のせいでいつか彼を困らせるのではないか、そんな考えに陥っていたのだ。
数年ぶりに過去の自責の念に光をあてて、過去を清算した私は、告白の返事をし無事交際することとなった。

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自分の頭の中の悩みというのは、結局そのままでは向き合うことができない。だから、言葉にして、形あるものとして自分の目の前に置くことで、初めて文字通り「向き合う」ことができる。
今の私はいつの自分と向き合うことも怖くない。彼と出会って言葉にする大切さを知ったのだから。