チクタクチクタク。
私の中で、時が刻まれる音がする。
不可逆なそのリズムは、決して止まることはない。
定期的に会う男友達がいる。彼はY君。18歳のときの校外イベントで出会ってから、定期的にクラシックコンサートを聴きに行く10年来の友人である。
高校ではドイツ、大学ではモザンビークに留学に行き、社会人生活を経て、昨年12月からはスペインにMBA留学をする彼は、活動的な国際派で、チャレンジ精神の塊のような男だ。
彼の夢は地元の市長になること。そんな彼がスペインへ渡航する前、最後に会った10月のことだった。
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その日もY君は饒舌だった。
その日聴いたクラシックコンサートの指揮者やオーケストラがいかに素晴らしいかについて。
演奏された曲の背景について。
この間読んだアカデミックな本の興味深い点について。
この間大ファンである村上春樹の講演会に行き、初めて同じ空気を吸った感激について。
留学に行ったドイツやモザンビークの国民性や文化だったかについて。
これから行くスペインのヨーロッパ諸国での立ち位置について。
MBAを取りに行くのになぜアメリカではなく、スペインなのかについて。
MBAを取って転職先はどんなところを狙っているのかについて。
将来市長になったら、どんな施策をしたいのかについて。
ドイツに留学に行き、日本に一番足りないのは主権者教育だと痛感したことについて。
そして主権者教育を日本に根付かせるには、どんな政策をしなければならないかについて。
そして、近々結婚する彼女について。
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この話題の嵐の中に、スペイン語とドイツ語レッスンと村上春樹のうんちくを少々入れて、Y君は2時間語り続けた。そして今度は私に問いかけた。
「まよは最近どうよ」と。
経験も教養も趣味も夢もふんだんに詰まっている彼との会話は、いつだって発見に満ち満ちていて、楽しい。でも同時に辛くもある。
「社会人2年目で4か月休職して、最近復職しました。時々エッセイ書いています」という自分の近況はあまりにお粗末だと感じてしまうからだ。
「私は変わらずぼちぼちかなあ。今の生活で結構満足しているよ」と絞り出すのが、私の精いっぱいだった。
そんな私のつまらない近況報告に、Y君は「元気になったようで良かったよ。無理せず、が大切やね」と優しく柔らかく笑い返した。
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満足しているなんて、嘘だ。私にはもっともっとやりたいこと、叶えたいことが沢山ある。
大学や専門学校に入りなおして、文章を一から学んでみたい。
はたまた大学院に進学して、卒論で熱中したナチスの政策について研究したい。
ピースボートで世界一周したい。
ワーキングホリデーで英語圏やドイツ語圏に行って、働きながら勉強したい。
エッセイをまとめて本として出版したい。
一流のエッセイストになりたい。
私は野心家である。そんなたくさんの夢を心に潜ませている私が、次にY君に返した返事は以下のものだった。
「Y君は相変わらず色んなことに挑戦してて凄いね。私もやりたいことは沢山あるけれど、やっぱり女性にはバイオロジカルクロックがあるからね」
夢を諦めるかのように私の口から出たのは、バイオロジカルクロックという言葉だった。
バイオロジカルクロック、つまり「生物時計」は、すなわち「妊娠可能な年齢の限度」という意味だ。
私たち女性が健康的に妊娠できる年齢を指し、一般的には35歳から38歳くらいまで、と考えられている。もし妊娠を、子どもを望むなら、今年で29歳になる私に残された時間は、あるようであまりない。
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私を焦らせるリミットはそれだけではない。
ピースボートで安く乗船できるのは29歳以下。ワーキングホリデービザが下りるのは30歳まで。かがみよかがみでエッセイを投稿できるのは29歳まで。
私の中のタイムリミットは、今この瞬間も容赦なく、時を刻み、減っていく。その、焦燥感。
もし今後私が妊娠して出産して、子どもを腕に抱き育てたとき、全ての夢は過去のものとなり、「子どもの幸せのためなら自分の夢など惜しくない」と言うのだろうか。それは今の私には分からないことだ。
でも子どもがいるから結果的に夢を諦めた、のではなく、夢を諦める・挑戦しない口実のために子どもを使った、というのは、なかなかの地獄である。それくらいは今の私でも分かる。
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そんな逡巡をして口数の少なくなった私を見て、Y君はこう続けた。
「なんでも挑戦したらええと思うよ。後悔するのは良くないから。ほら、村上春樹は30歳になって作家デビューしたし」
そうか、そうだよね。年齢を理由に諦めるのは絶対に良くないよね、Y君。
でもさ、あなたがもし女性だとしようよ。結婚すること、子どもを持つことに、具体的なリミットがあるのだと、日に日にそのタイムリミットが近付いてくることを、日々実感しながら、毎日過ごさなければならないんだよ。
家族に色々な形があるのは大前提で勿論そうだよ。でも、男の人はいくつになっても父になることはできるけれど、私たちはそうではない。男女間で、そうした不均衡な力関係があったとき、本当に年齢を理由に夢を諦めることができないって、言い切れる?
誤解を恐れずに言おう。私たち女性は、夢を諦める「口実」や「言い訳」を男性より一つ多く持って生きている。その「荷物」が、今の私にはたまらなく大きく、そして重い。Y君、その「言い訳」に決して頼らないと言い切れるほど、本当に君は強い?そして私たち女性は、そこまで強くならなくちゃいけないの?
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いつだか海外のスポーツニュースが、某日本人メジャーリーガーの活躍を報じた。43歳となったそのメジャー最年長野手が当季初盗塁を決めたのだ、と。「43はただの数字に過ぎない」と実況者は興奮気味だった。
年齢などただの数字だと、男たちは言う。いいや、それは男性のロジック。女性には、ポイントオブノーリターン、引き返し不能点が確実にあるのだ。その日まで、毎日女性は自己責任で選択し続けなければいけないのだ、それがどんなに大変か分かる?と私はY君にもその実況者にも聞いてみたくなった。
私の中で時を刻む時計。でも本来時計の指す時間に何の意味もない。15時はただ0時から15時間経ったという意味だけを示すもの、ただの「15時」なのだ。それに例えば「おやつの時間だ」とか「あと3時間で定刻だから頑張ろう」と意味を後からつけるのはいつだって人間なのだ。
ならば。
30歳はただ30歳。35歳はただ35歳。バイオロジカルクロックを「関係ないよ、そんなもん」と鼻で笑えるような、そんな大人に、できれば私も変わりたい。