「文章を書く」と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは手紙だ。
小学生のころは事あるごとに手紙を書いていた。誕生日のメッセージ、感謝のメッセージ、遠くに住む友人とのやり取りなど…とにかくあの頃の私は自分の気持ちを文字に起こし、実際に紙に書いて伝えていた。
それが今となってはどうだろうか。紙に文章を書く機会はほとんどなくなってしまった。
スマートフォンを持つようになり、誕生日のメッセージも、お礼の言葉も、遠く離れた海外で暮らす友人とのやり取りも小さな機械一つで何でもできるようになってしまった。
数えきれないほどインターネットの恩恵を受けている私が今さらこんなことを言うのはおかしいかもしれないが、文章を紙に書いて送り合う機会が減ってしまっていることを、少し寂しく感じている。
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今年のお正月、私の元には年賀状が一通も来なかった。私も誰にも送らなかったのだから当然かもしれない。でも少し寂しかった。新年の挨拶はLINEで済まされてしまった。これから先、年賀状を送り合う人はどんどん減っていくんだろう。
SNSやインターネットに書く文字とは違い、紙に書いた文字には温かみがあると私はよく感じる。例えば物を貸した友達からそれが返ってくるとき、小さいメモに一言「ありがとう」と添えられているだけでも嬉しい。心が温まる感覚がある。たった一言でもこんなに嬉しく感じるのだから、手紙はもっと心温まる気持ちになるんだろう。
紙に書いた文字に温かみを感じられるのは、それを書くために手間をかけてもらったということを肌で感じられるからだろう。その分大切に思ってもらえていることを実感できる。
それだけでなく、手書きの文字には個性が表れる。同じ文章だとしても書き方は人それぞれだ。その個性はSNSやインターネットで出せるようなものではない。これが2つの決定的な違いだ。
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文章を書くことの最大の特徴は話すことと違い、良くも悪くも形に残るということだろう。
一度手紙をもらったら、それは捨てない限り一生形として残るし、何度も見返すことができる。私もよく手紙をもらっていた頃は、嬉しくて何度も読み返していた。
だからこそ、自分が文章を書くときは「この言葉で間違いないか」「誤解されないか」をより意識しなければと思っている。
これに関してはインターネット上での文章やSNSにも同じことが言える。打ち込んだ文章は消すことはできるが、一度受け手の目に留まり、拡散されてしまえば一生形として残ってしまう。手紙でもSNSでも、形として残る言葉は誰かを傷つけるものとしてではなく、誰かを喜ばせるものとして使われるといいなと思う。
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もちろんSNSやインターネットの文章が悪いと言っているのではない。実際私もSNSをフル活用しているし、文章でのやりとりのほとんどはLINEでしている。SNSは何といっても便利だ。いつでもどこでも自分の都合に合わせて使える。そんな便利になった世の中だからこそ、あえて手間をかけて手紙を書く日があってもいいのかもしれない、と私は思う。
手紙を書くことで相手のことをより考え、大事にしたいという気持ちは強まるし、何より手紙を書く=自分と向き合うことでもあるからだ。相手のことを考える時間は自分に正直になって、気持ちを整理する時間にもなる。
どちらか1つに偏るのではなく、それぞれの良さを場面に応じてうまく使い分けていきたい。