選択的夫婦別姓制度は、アラサーの私が生まれた頃に議論が本格化した。しかし今もなお制度は実現していない。
私がこの社会的課題を考える時、自分の家族のことを考えずにはいられない。

私の家族関係は少し複雑だ。あまり書きすぎると身バレするので控えるが、第三者に伝える時、私も時々何を言っているのか分からなくなるくらいには複雑に入り組んでいる。家系図を引くと線とバツが並ぶといえば伝わるだろうか。

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今回は母に私にフォーカスして話をしたい。
母は自分のアイデンティティのかなり重要度の高いところに「名字」がある人だ。非常にこだわりを持っている。自分が自分であるために大事にすることの一つが、名字なのだ。

母は私の実父と若い時に結婚した。その時に母は実父の名字に変わった。私が生まれたのもその時だ。その時母は女性に生まれたというだけの理由で自分の名字を、自分らしさを、アイデンティティを失った。
そして今も失ったままだ。私の実父と離婚し、今の夫である父と再婚するまでの間だけは自分の名字を取り戻していたが、その期間は長くなかった。

父側が名字を変えれば済む話、と第三者から言われるかもしれないが、母たちの場合それは現実的ではなかった。
しかし、我が子が生まれた時に婚姻関係が成立していないと非常にややこしいため、改姓を余儀なくされたのだ。

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この歳になると自分の意思とは関係なく、「結婚」という大きなライフステージの変化の話題が出てくる。
だが私は結婚する気が1ミリもない。相手がいないのだから仮にしたくてもできないのと、結婚しないことそのものの是非はこの際置いておくとして、なぜ結婚する気がないかと言うと名字が変わりたくないからだ。

私の今の名字、すなわち母の本当の名字は、私が改姓することで消えてしまう。
母が「わたしの名字がなくなる」と言っていたのが頭から離れないのだ。私が希望するならこの名字じゃなくなっても別に構わないとも言ってくれたけれど、私はどうしてもこの名字じゃなくなる気が起きない。

今の父と母が再婚するとき、私は20歳になる数か月前だった。年齢的に親の都合で名字が変わるような歳でもないよねと話し合い、養子縁組はせずに今に至る。その後生まれた妹も含め、血の繋がりの無さや名字の違いなんて関係ないと言える仲良し家族だ。

傍から見たら言われないと、血の繋がりのない家族だとか、父親が違う姉妹だなんて分からないだろう。戸籍上は他人と同等だから、名字が違うから、家族の絆が薄くなるだなんて全く思わない。名字が変わることを理由にアイデンティティを失う可能性の方がよっぽどある。

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母が”本当の名字”に戻れた時、すなわち選択的夫婦別姓制度が実現した時だけ、私は名字を変える。それまでは母の本当の名字を私が代わりに名乗り続ける。それが親孝行の一つだと思うし、我が子である私と妹のためアイデンティティを欠けさせた母を尊敬しているから。

万が一、億が一私にどうしても結婚したい人ができて、その人の名字に変わることがあってもライターの名前だけはそのままにして名乗り続けられるように、ライター名の名字の部分は本名と同じにして活動を始めた。私は母に似て、名字のこだわりがあるとも言える。

私の母のような辛い思いをする人がいない、自分の名字を好きなように名乗れる社会になってほしい。できれば1日でも早く、母が元気なうちに。