1月半ば。月曜日の朝刊に載った、年上のお兄さんお姉さんたちのための問題を解く日。その日だけは自分まで、大人のお姉さんになれる気がしていた。

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私はとても勉強のできる子供だった。
共働きの両親が小学校の夏休みの間、家に一人でいさせるのは心配だからと、ただそれだけのために申し込んだ学習塾の無料夏期講習。小テストは毎回1番、日頃から塾に通う子たちの誰よりも良い成績だった。極めつけには気まぐれで受けた模試で叩き出した偏差値70。

友達と離れたくないから中学受験をするつもりはないと伝えたとき、無料で指導してくれた夏期講習担当の先生はひどく悲しそうな顔をした。

学校のテストにはすっかり飽きていて、塾でも自分より成績のいい子に巡り合えず天狗になっていた私が、「がんばってもやっぱりわからない」問題に対峙できる日が一年に1日だけあった。
今でいう共通テスト、当時のセンター試験の翌日の月曜日である。

センター試験が開催される1月の第2土曜日・日曜日が終わると、その問題はすぐに全国に公開される。翌月曜日の新聞の朝刊に掲載されるのだ。

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新しいことを覚えることと、パズルやクイズのような問題を解くことが何より大好きだった小学生の娘に、両親がその紙面を見せたことはなんら不思議ではあるまい。何ならその気質は遺伝だったようで、有名大学の数学科出身だった父は毎年ムキになってセンター数学を解いていたと記憶している。

ただ、当時小学生の私にとって高校数学はさすがにわからない。同じく英語も、理科も社会もダメ。唯一年上の高校生たちと互角に戦えたのが、国語の現代文だった。

数学や理科や社会で「聞きたいことはわかるけど答えに辿り着く方法を知らない」という歯がゆさと、現代文でそこそこの点数を獲得して得られる自尊心。これがセンター試験の時期に感じるものだった。
高校2年生の時までは。

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高校3年に進級して、私は体調を崩しがちになった。欠席日数は増え、ついには3ヶ月程度の入院が決定した。受験追い込みシーズンの9月から、センター試験直前の12月まで。
ストレスをかけるとよくないという理由から、病院に問題集を持ち込むことは禁止された。
この期間に解こうと思って買い集めていた志望大学の赤本は、結局一度も解けずに終わった。

なんとか期日通りに退院して、やってきたセンター試験、本番。
自信をもって解けたのは、幼少期から過去問を繰り返し解いていた現代文だけだった。
センター試験が終わってから買い集めた赤本を捨て、代わりに新しいものを一冊だけ買った。当初の第一志望より、3ランク以上下のレベルの大学の過去問題集。

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あれから私はどうにか一校だけ合格した大学すら体調を理由に退学し、幼少期の神童ぶりから想像もつかない人生を送っている。
それでもなんだかんだ、楽しく毎日を送れているのは不幸中の幸いというべきか。
そして毎年、年明けの寒波がやってくると思い出す。幼少期の誇らしさと、本番の挫折と絶望を。

受験シーズンが、今年もやってきた。
願わくば、今年の受験生がどうか、自分の実力をきちんと発揮できますように。
そして、うまくいかなかった子にこそ伝えたい。人生は、決して、大学受験だけではないことを。