その日もいつものように推しの配信を見ていた。
推しについては詳しくは語らないでおく。
そのときの話題はコスプレについてだ。
彼はコスプレってかわいいよねと話していたのだ。
その発言を受けて、同担の可愛い女の子たちは過去にサンタコスやアニメのコスプレをした経験をコメントしていた。ハロウィンの仮装について話している同担もいた。
私にはコスプレ経験はない。私は不細工で、不細工にはコスプレは似合わないと考えているからだ。そもそも一緒にコスプレしようなどと誘われたことすらない。コスプレってもしかして一般的なの……?と驚いた。
◎ ◎
私は推しに可愛いと思われたくて、彼が好きだといったタイツをはいたり、ミニスカートをはいたりしているのだが、それにも限度がある。顔が整っていない私にはかわいいコスプレは似合わない。服やキャラクターが可哀想だ。
推しは顔がいいオタクを見慣れているから、私のような不細工が可愛い服を見て「可愛いけど自分には似合わないな……」と苦しんでいることを知らないのだろう。
不細工のつらさをきっと推しは知らない。推しの周りにはかわいい女の子がたくさんいるから。同担のあの子はクリスマスにサンタコスをして推しからのいいねをもらっていた。いいな。いいな。私はコスプレなんてできない。そんなことをしたら可愛いお洋服が可哀想だ。でも私だって推しにいいねされたかった。
推しの存在がなければ、コスプレをする女の子をみても可愛いなと思うだけだったと思う。推しが可愛いと言ったから。いいねをしたから。推しに好かれたい私は苦しくなってしまうのだ。可愛い同担は推しにちやほやされている。正直彼女たちがうらやましくてしかたがない。私も可愛かったら推しが好きになってくれるかななどと考えたりする。
◎ ◎
インターネットは、自分が普通に生きていたら触れなかっただろう恵まれた人々について知ってしまう機会が多い。SNSをみると可愛い女の子ばかり。特に同担には可愛い子しかいないように感じてしまう。美人の価値観は我々不細工とは違うのだ。
他にも可愛い子はデートでおごってもらうことがあたりまえだと聞く。男性にやさしくされたり、なにもしていなくとも好印象を持ってもらえたりする。就活では、面接が進むごとに不細工が消えていくといった話もある。実態はともかく、顔採用という言葉があるように美人は就活でも有利なのだ。可愛い服やコスメを何も考えずに買うことができたり、おしゃれをすることを心の底から楽しんでいたりする。私なら可愛いものを買うのにも自分には不相応だと思って躊躇してしまうし、メイクは楽しいことではなく少しでも見苦しくないようにする身だしなみやエチケットのようなものだ。
バイト先でも美人と不細工は違う。可愛い先輩は店長にクリスマスはデート?ときかれていたが、私には特に何も聞かれなかったのでおそらく私には浮いた予定はないと思われたのだろう。自意識過剰かもしれないが少し落ち込んだ。
◎ ◎
オタクにとっての生きがいは推しである。私の推しは優しいからファンに「ブス」などとは言わないけれど、心の中ではそう思われているのかもしれないと思うと、とてもじゃないが生きていけない。でも私が推しの立場だったら可愛いオタクのことしか目に入らないだろうなとか考えてまた病む。
これはただ被害者ぶっているだけなのだが、美人は生きているだけで得をするのに、私の大切な推しさえ奪われたような気分になった。
私だって推しに可愛いと言われたかった。
美しく生まれることができなかった私は推しにはきっと好かれない。
この世はなんて残酷なんだろう。
はい、僻んでいないで推しに好かれるためにおとなしく努力します。