私が勇気を出したのは、二〇一五年の夏。あの夏も、暑い夏だった。

憧れの高校に入学したのは良いものの、私は完全に燃え尽き症候群に陥っていた。なんて言ったって、高校生活の楽しみ方が分からない。
とりあえずここを目指して頑張ってきたけれど、人は目標が達成されると、こうも自堕落に陥るのだ。煌めきってなんだっけ、ときめきってなんだっけ。青春って、今のことを言うの?
人生で二〇一五年の夏は一度しか来ない。仮に八〇歳まで生きるとして、八〇回しか夏は来ない。そして同じ夏は二度と来ない。何かをするなら、「今」しかないと思っていた。

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一色くん。斜め前の窓際の席に座る君は、入学式早々に私を虜にした。
「漢字の一に色と書いて、いっしきと読みます。一年間よろしく」
そう短く言い残して、何事もなかったかのように窓の向こうに目を向けた。
一色くんは、春が来ても楽しくなさそうだった。きっと一色くんにだけ、春が来ていない。

第一志望の高校じゃないんだって、だからずっとあんなん。どうりでこないだのテストもクラス一位だったんだ。一色くんは、頭がいいんだよ、だからつまんないんだよ。

様々な情報が流れた。だけどそれら全てを遮断するかのように、お弁当中もイヤホンを外さない君の横顔は、私から見たら切なかった。それと同時に、救いたかった。
ねえ一色くん、私も楽しくないの。第一志望で入学したのにね、憧れの高校が「こんなもん」なんだよ。何もせずに無為に毎日を過ごして、貴重な高校生活が終わっていく。
ねえ一色くん、楽しくない世界を一緒に楽しくしようよ。それは自分にしかできないってしっている?
一色くん、私が君を「楽しく」するよ。

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夏が来て、私は勇気を出した。一色くんのそばにいたい。できるだけそばにいられる場所、それは一色くんのテニス部のマネージャーに転部することだった。
キモいって思われようが、引かれようが、これは私自身への挑戦だ。早く、書道部に別れを告げに行こう。私はいつまでも暗い部屋でうずくまってるような人じゃない。
外の世界は、こんなにも明るいのに。その扉は、いつだって開いているのに。 

テニス部のマネージャーになってから、私は生きている心地がした。ちっぽけな事かもしれないけれど、毎日存在している感覚があった。貴重な高校生活を、私は無駄にしていない。
初めてテニスコートに入って、球拾いを手伝う。自分の汗が砂の上に落ちて、それがじんわりとすぐ乾く様子を見たら、私は二〇一五年の夏を体全体で噛み締めている心地がした。

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一色くんとは部活中、目を合わせる勇気もなかった。
なんでお前は転部してきたんだ?何のために?もしかして、お前って一色のこと好きなんじゃね?
色んな噂が飛び交った。そしてそのどれもが本当だった。そう、私は一色くんが好きだ。命をかけて、好きな人だと感じた。入学式に感じたあの何かは、きっと間違ってなんかいない。
これから一色くんに振り向いてもらえるように、もっともっと頑張ろう。暑くても寒くても、笑顔でいよう。まだテニスのルールも何も分からないけれど、これから三年間、無駄にしないように生きよう。そしていつしか、一色くんに認められたら……。

そんな思いで三年間を過ごした。一色くんは、私が頑張れば頑張るだけ、ちゃんと見ていてくれて、ある日思いを打ち明けてくれた。
「お前のお陰で、高校が楽しくなった。ありがとう」
初めてみる一色くんの心からの笑顔。
自分次第で、未来は変えられる。そう確信した。