「前から詰めてお座りください」
人を整理する必死な声を聞いたのは、何年ぶりだろうか。しかも、こんなにおごそかな場所で。
私は、ここに来たことを、少し後悔した。いくら厄除けとは言え、この人混みはあんまりだ。軽くめまいがして、怖さすら感じる。
「かえって体調を崩しそうだなあ」と、失礼なことを考えつつ、目の前の護摩祈祷に集中しようと、お札が焚かれる火を見つめていた。
ここは、とあるお寺。50畳分はゆうに超える大きな本堂の中に、すし詰め状態で正座する人たち。押しつぶされそうになって苦しいが、この状況を人のせいにはできない。
「皆さん考えることは同じ」と思って、心を落ち着かせることにした。換気のため、扉も窓も全開なのが救いだ。
その日、私は貴重なお休みだった。本当ならのんびり寝ていたいところだが、朝5時に起きて、納豆でごはんを済ませた。
通勤ラッシュの中、高速道路をひた走ること4時間。家から、父の実家にほど近いこの街までやって来た。大変なことだが、そもそもここに来ようと決めたのは私自身だ。
◎ ◎
新年になってから、何かと調子が出ない。新しいことを始める気にもなれない。仕事でも、報告、連絡、相談のミスを連発した。しまいには部署内で話し合いになった。
「仕事は、終わりまできちんと確認してほしい」「チームで仕事をしているのだから、情報を1人で持っていても意味がない。全体に流してほしい」と、あらゆる方向から、チームの人たちとのコミュニケーションの不足を指摘されて、総スカンを食らった。体調が悪いのか、それとも、仕事の能力がないのか、はたまた性格が悪いのか。1週間ミスが続いた時には、これ以上仕事に行けないと思い詰めるぐらい、落ち込んだ。
「何か、悪いものでも憑いているんじゃないか」
真剣に悩んでいた時、父が新年のお参りに行くと言い出した。コロナ禍の中、人の集まる場所に出かけると、自ら感染する状況を作ってしまうのではないか。職業柄、そんな心配もあったが、極力リスクは避けて行動するという。勇気を出して、一緒に行ってみようと思ったのだった。
◎ ◎
「ここまで来たからには、きちんとお参りしよう」
そうこうしているうちに時間が経ち、私たちはお坊さんに促されて、ご本尊さまにお参りした。これまた、夢の国もびっくりな大行列で、拝めた時間、せいぜい2秒。正直なところ、人の流れに沿って歩いているだけで精一杯だった。
「お出かけって、こんなに疲れたっけ」
終わる頃には、ぐったりしていた。それでも、お参りの後は、達成感とすがすがしさが、私の全身を包んでいた。自分で決意をして行動することは、気持ちいい。そして、目に見えないものに守られている。そんな感覚を味わった。人の心持ちとは、不思議なものだ。
帰り道、お寺と街をつなぐ道には、甘味処やおみやげ物屋さんがずらりと並んでいた。
「くず餅、いかがですかー?」
お店の人の、はつらつとした客引きの声も、そっと背中を押してくれている。パワースポットとは、すべてが力になる、活気に満ちた場所なのかもしれない。
「よし、頑張ろう。今できることを、着実にやろう」
◎ ◎
あの日、私は、小さいけれど確かに、気持ちを新たにした。
授かったお札は、家に帰って、リビングの棚の一番高い所に入れた。神棚がないのが残念なのだが、形だけでもきちんと、お祀りするつもりでありたかった。テレビを見ようと目を上げるたび、ご本尊さまに見守られているようで、身が引き締まる思いだ。
これから季節がめぐるたび、思い出すのだろうか。ラジオから、「真冬のような寒さの1日になりそうです」と聞こえてきたあの日の、家族のお出かけを。