とてもとても寒かったあの日、母が何も言わずにいれてくれた紅茶。改めて、母の本当の優しさに触れた気がした瞬間だった。

私の母は、怒ると、般若のお面のように怖くて、雪女のように冷たい。そして、フルタイムで仕事をしながら、三人の子どもを育てるパワフルな母でもあった。仕事柄、私の参観日や運動会に来られないことも少なくなかった。その度に、少し寂しそうに「ごめんね」と謝っていたのを今でも覚えている。
私自身、寂しくなかったと言えば嘘になるけれど、しっかりめにお化粧をして、凛々しくたくましく仕事に向かう母の背中は、いつも私を誇らしい気持ちにさせた。それでいて、普段は冗談をよく言う、少し抜けたところのある朗らかな母でもあった。

◎          ◎

もう十年も前だが、ちょうど今の時期、私は大学受験真っ盛りだった。滑り止めの大学を三校ほど、そして国公立大学を受験した。いろんな形式でたくさんの大学を受けたが、ものの見事に、私はすべての大学に落ちてしまっていた。
中学から私学の中高一貫校に進学した私の生活は、勉強を中心に成り立っていた。良い大学に入れば、選択肢は広がると信じて疑わなかった。だからこそ、自分の全てを否定されたような気がして、とても辛かったのを覚えている。

高校三年生の、寒い寒い冬の日。私の大本命の大学の、不合格の画面を見た日。他の大学を受けた帰りに、ケータイの画面で不合格の文字を見た私は、その悪夢を信じられずに、何度も何度も画面を見直した。でも、何度見ても自分の受験番号はなかった。
こんなに頑張ったのに。何をして過ごしたかも記憶に残らないくらい、勉強したのに。頭が真っ白になった。泣きじゃくりながら家族と担任の先生に連絡を取り、帰路に着くために電車に乗り、泣き腫らした目で家に帰った。

◎          ◎

家に帰って、母を見て、悔しさと悲しさと、合格を伝えられなかった不甲斐なさと申し訳なさとがごっちゃになって、また泣けた。そんな私を見て母は、普段よく言う冗談も言わなかったし、よく見せる厳しさも見せなかった。
母は、何も言わなかった。「大丈夫」とも、「泣かないで」とも、「頑張って」とも。

何も言わずに、私を座るよう促して、いつものマグカップにあたたかい紅茶をいれて、私の前に置いた。よく覚えていないけれど、多分一時間以上はそこに座ったまま、私は泣き続けたと思う。人間こんなに涙が出るものかとどこか他人事のように思いながらも、流れ出る涙をとめることは出来なかった。
その間ずっと、母はただ私の側にいた。何も言わずに。

その時、ふと思った。ああ、これが母の優しさの形なんだ、と。励ますでもなく、背中をおすでもなく、奮い立たせるわけでもない。とことん側にいてくれる。それが私のお母さんなんだ、と。

◎          ◎

寒かったあの日、優しい言葉も、強い励ましもなかったけれど、今私がそこそこ楽しく、そこそこ自分を好きでいられる人生を送れているのは、きっと、母のあの静かな優しさがあったからだ。
母が辛いとき、私もただそっと側にいられたら良い。そう思いながら、今日も私たち親子はくだらない冗談を言い合っている。