私はお正月の三が日生まれだ。
雪景色を見ると、あの年の誕生日を思い出す。
私が生まれ育った町は年に1度、1~2cmほど雪が積もっただけで交通機関が麻痺するほど雪慣れしていない土地である。
誕生日は毎年家族と過ごすことが当たり前だった。あの日までは。
◎ ◎
21歳の誕生日、私はひとりだった。
当時大学生だった私は、長年の夢である海外留学がしたかったのだが、通っていた学部には留学制度がないので諦めていた。
そんな時、母に何気なく話したら、「1年くらい行っておいで」と背中を押されたのだ。
それからはとんとん拍子で、大学を1年休学して海外留学することにした。
しかし出発の直前、大好きだった彼と別れた。1年も待てないと言われてしまったのだ。私は毎日泣き暮れていた。
そんな時、母に聞かれた。「留学やめる?」
「行く。留学は私の長年の夢だから」
私は無意識にそう即答していた。
そうして運命の誕生日から遡ること1か月、ひとり極寒の地へと飛び立った。
最初は、知り合いもいない、言葉もうまく通じない、冬は雪がずっと積もっているのが当たり前という世界。
慣れるのに必死な上に、学校とシェアハウスとの往復、さらにはシェアハウスのオーナーと反りが合わず、疲弊していた。
いくら自分で決めたことでも辛く、心も折れかけていた。
でも優しいシェアメイトが同じ学校にいることが分かり、そこから少しずつ生活に慣れつつあった。
◎ ◎
誕生日が近付いてきたある日、シェアメイトとクリスマスの話やそれぞれの国の話で盛り上がり、つい気を許して「もうすぐ誕生日なんだ」と伝えてしまった。
シェアメイトは驚いて、「パーティーを企画しよう!」と言うのだ。こちらの国では自分の誕生日は自分でパーティーを開くという文化がある。
すぐに、「しまった」と思った。私は人見知りで大勢で過ごすのが好きではなかった。それに誕生日は密かに計画していることがあったのだ。
だから気持ちはありがたく受け取り、丁重に断った。ほかの誰にも誕生日のことは言わないでね、と念を押して。
初めてのひとり誕生日の朝。
さぁ計画の実行だ!
雪が降りしきる中、時刻表もない電車に乗り込んで、映画館に向かった。
海外の映画は声出しOKで、自由席。価格もとても安く、当時は確か700円ほどだったはずだ。
留学してすぐそのことを知り、誕生日はディズニー映画鑑賞をすると決めていたのだ。
その日は、珍しく最低気温がマイナス20℃を下回っていた。
いくら極寒の地でもそんな気温では外出する人も少なく、もちろん映画館内も全然人がいなかった。
初めてのひとり誕生日に、海外で初映画。つまり字幕なしの全編英語だ。初めて尽くしでワクワクが止まらなかった。
◎ ◎
数ある映画の中で、ディズニー映画を選んだ。
日本にいた頃は、ディズニー映画は1つも観たことがなかったのに、だ。単純だが私なりの理由があった。
ディズニー映画は、英語初心者向きなのだ。そして何より、このディズニー映画は日本が題材になっていたからだ。
ホームシックにかかっていた私は日本を感じたかった。でも誕生日だからといって勉強を完全にやめることはしたくなかった。
だからこの年の誕生日は、ホームシック解消兼リラックス勉強日とした。
がらがらの映画館で、普段観もしないディズニー映画をポップコーン片手に鑑賞した。
ボロボロ泣いて、けらけら笑って、忙しい2時間弱を過ごした。
観終わった私の足取りは軽かった。
次の日からの私は我ながらすごかった。
行動に行動を重ね、学校では1番下から1番上のクラスまで上り詰め、月間優秀賞にも輝いた。
居心地の良いシェアハウス先へ変え、学校もマンツーマン指導も増やし、そしてなんとアルバイトも決まったのだ。
アルバイトで稼いだ一部のお金は未だに日本円に変えず、大切に保管している。
帰国前には、10日間ほどひとり旅をし、旅先で出会った人のお家へ泊めてもらったり、その日知り合った人と仲良くなり行動を共にした。
泣き暮らし、人見知りだった私はもういない。
あの日からそばにはあの映画が寄り添っている、今でも。