「どうして彼氏を作らないの?絶対作らなきゃだめだよ」
もうタコの足が耳から出てきそうなほど、聞き飽きた質問。

「もしかして、マイノリティ?でも彼女もいるわけじゃないんでしょ」
その場で言い返していたことも、最近では真剣に聞いているフリができるようになってきた。だから相手は更に気持ちよく話し続ける。

「結婚しないって選択をするなら、それなりに仕事を頑張らないといけないと思うけど、そうだとしても後悔する日が絶対来るよ」
私自身もダメージを受けているのに気が付かないから、別に話を遮らない。反論しない。価値観の違う相手に説明するには体力がいるから。

「せっかくきちんと育ててもらったん、親に申し訳ないとか思わないの?」
申し訳ないと思う気持ちと、身内のために一人のどうでもいい人の人生を無駄にする方が私は申し訳ない。そんなこと言わないけど。

「○○さん時代錯誤ですよ!それより……」
そろそろ顔に出てしまったのだろう。同席していた友達が話題を変えてくれる。
心の痛みはだんだん老いとともに小さくなるような錯覚がある。筋肉痛みたいに、時差がある。
でも、痛い。翌日夕方らへんに涙が出てくる。頭の中でリピートされる言葉。
「ちゃんとしなよ」

◎          ◎

大学の時は議論するのが好きだった。人の意見を聞くと、はっとさせられることが多かったし、正解のない問いを一緒に考えていることで、一緒にその空間のなかの正義を作り上げている気がした。
でも、実社会での本来の話し合いはほぼない。合理的でない作業も、変化を嫌う人が多い組織という中では続ける必要があるものだそうだ。最初は頑張って上長に掛け合っていた自分が、だんだん組織に染まるのを感じていた。
そしてそれは、身近な人へ伝播してしまっていた。

「遅刻するなら1分でも、ちゃんと連絡しないとダメじゃん」
「人がせっかく時間作ったんだから、ちゃんと話してよ」
「材料が足りないって気づかないとか、普段ぼーっと生きてる証拠だね、ちゃんとしてよ」

当時の自分の言動を振り返ると、ぞっとするほど他人に厳しい。そして、その厳しさは日常を共有する友達や恋人に対して向けるべきものではなかっただろう。張り詰めた空間が私の周りには漂っていた。
そして、私の周りから人が離れていった。
「自分に厳しく、人に厳しく、何が悪いの?ちゃんとしてるだけなのに」

◎          ◎

職場を変えて、住む場所を変えて、私の心は修繕し始めた。自然と感謝の言葉を発する回数が増え、否定する言葉を人に使わない日も増えた。
すると周りに人が沢山来るようになった。

だからと言いたくないけれど、“ちゃんと”した価値観を押し付けられる回数がまた増えた。
だけど、大切な家族がいる。心が痛い日には電話を掛けられる親友がいる。
そして、歳をとったお陰で、社交辞令をうまく使うことを覚えた。
「またお話聞かせてください、機会があれば」

一生お前と同じ空気吸わないように全集中させていただきます。
大切な人と、自分の心を守れる私の“ちゃんと”を選んでいきたい。