私の将来の夢は、世界に飛び出て「言語」に携わる仕事をすることだ。
小学生の頃から、「英語」という言語はいつも私を新しいフィールドに連れていってくれた。同じように、世界中のどんな人たちにも「言語」を通してたくさんの夢を見てほしい、少しでもその手助けがしたいと考えている。
だからこそこれから先、世界中の異なる環境で生きてきた人たちと共存していくうえで未来の私には、どうか沢山の側面を持つ大人になっていてほしい。

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そのために学生である現在は、自分の人生に多くの「点」を打つ作業をしている。「英語」や「韓国語」といった言語学習や手話、日本語教師や英語教師のための勉強、ヨガやダンスなどジャンルに関係なく、「やってみたい」と感じたことには積極的に行動している。

スティーブ・ジョブズは、「点と点が繋がれば線になる」という言葉を残した。それなら私は異なるそれぞれのジャンルに沢山の「点」を打って、それらを線で繋げることによってできた図形をなるべく大きくしたいのだ。図形の大きさは、自分の将来的な可能性の大きさであると考えている。

また、自分の新たな側面を形成する上で積み上げてきた努力を決して表に出さないにも関わらず、自ずと滲み出てくるような大人になっていてほしい。
私は昨年に大変な大学受験を乗り越えた。ふと周りを見渡してみると、その合否に関わらず目標に向かって努力した過程を経験した人は、その後の考え方や姿勢が変化することに気がついた。
決して過去の努力に縋り付くわけではない。それを自信にして、またバネにして、もう一跳ね、二跳ねできる自分でいてほしい。

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高らかに夢を語っているが、将来への不安はもちろんある。将来に対する希望と不安は常に表裏一体だ。光が強ければ影が濃く出るように、希望が大きいほどに不安は大きくなる。

特に「点」を打ち続ける作業は、新たなことに挑戦する高揚感と共に、いつかそれが「線」で繋ぐことができる日までは実が結んだと思うことができない過酷な作業でもある。あれこれと手を出して、中途半端に終わってしまうのではないか、今するべきことは本当にこれで合っているのか、自分のために何を続けて何を諦めるべきなのか、毎日が選択の連続で足がすくむ。
しかし、その度に「未来の私」の姿を思い出す。いつだって「世界に飛び出したい」という想いが自分を鼓舞する。たとえ時間がかかったとしても、何度でも立ち上がってまた自分と向き合う力をくれる。

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きっと、夢を見ることに終わりはない。今、挑戦していることを全て完璧に成し遂げられるようになった頃には、さらに高い目標を見上げているに違いない。もしかするともっと大きな世界に胸を躍らせているかもしれない。

未来の私には、現在の自分が想像も出来ないような世界に飛び出してほしい。これから先、今よりも壮大な目標を見つけた時、自分の背負っているものや積み上げてきた努力に助けられるか、それとも苦しめられるかは今の自分次第だ。

どれだけ大きな図形を作ろうか、どんな道順で歩いて行こうか、この果てしない道のりはいつまで経っても私に「考えること」をやめさせない。何を勉強し、何に挑戦するかを毎日悩んでは選択して、悩んでは選択しての連続だ。それでも私は、将来の自分の姿を「考えること」以上にワクワクすることを知らない。
だからこそ今日もまた、未来の自分の可能性を広げるために挑戦し続けるのだ。