自己顕示欲、承認欲求、推し活。SNS時代の今、みんな、誰かの1番になりたくて、自分の1番を追い求めて生きている。それを眺める私の本心は、どうしてだかその波に乗りたいと思っていない。

私の本音はこうだ。
「誰かの1番になりたくないし、誰かを1番にしたくない」
現代社会において、共感されにくい気持ちだが、私と同じような感覚を持っている人は意外と存在していると思う。その中には、なぜみんなと違うのかわからない、理由がわからないモヤモヤ感を抱いている人も多いのでは……?と勝手に想定して、私の中で見つけた1つの仮説をシェアしてお節介を焼いてみることにした。

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私が考えている1番有力な仮説は、「チャムシップに疲れたから」というものだ。
チャムシップというのは、小学3年生のころの前思春期から始まる、同性同年齢の1対1の関係のことだ。この二者関係をもっとわかりやすい言葉で表すと、いわゆる親友関係というものだ。

この時期の親友関係は少し特殊で、排他的になる傾向がある。二人だけの合言葉を作ってみたり、二人だけの秘密を抱えてみたりすることで、結びつきを強くする。さらに、二人の関係をより強固なものにするために、他者の悪口を言うこともよく起こる。これがいじめに発展してしまうケースも少なくない。
しかし、心が発達していくうえでは必要な経験なので一概に悪いとは言えない。チャムシップを経験できていない場合、その後他者とのコミュニケーションが難しくなることもある。

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この特殊な二者関係のコミュニケーションがいつ頃終わるかは、個人差があり、私が進学した高校でもチャムシップに近いことを行う人は少なくなかった。でも、私はこの時すでに、チャムシップに疲れていたのだ。

早いうちにチャムシップを卒業していた私は、体育のペアなんて誰でもよかったし、隣の席が誰だろうと別に困っていなかった。でも、一定数の体育のペアはこの子じゃないといや、隣の席はこの子じゃないといやという人もいて、めんどうくささを感じていた。

そんなことはめんどくさいと思う程度だったが、遊びの約束をしていても親友に誘われたからとキャンセルされたり、遅刻の理由が親友に会っていたからと平気な顔で言われたり、私はめんどうくさいを通り越して呆れが勝った。
ここで私は「誰かの1番になりたくないし、誰かを1番にしたくない。平等に平和に生きていきたい」と思うようになったのだと思う。

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友達に優先順位をつけたくないし、好きな気持ちに優先順位をつけたくない。誰かを1番にするということは、他の誰かを1番より下にしなきゃいけない。そして、私が誰かの1番になったら、他の人が下げられてしまう。
そんな心理的な葛藤を抱きたくない平和主義の私は、誰かの1番になりたくないし、誰かを1番にしないのだと思う。時代の流れには逆らっているかもしれないが、私は「私の心の中が平和ならそれでいいや」と思っている。

22歳を迎えた今、チャムシップを行う人がいなくなってきたのもあり、徐々に1番というポジションへの嫌悪感は減ってきた。それでも数年間直面してきたチャムシップ問題からの疲れは取れていない。だから、まだしばらくは1番というポジションと関わることはないだろう。

今回の仮説がモヤモヤしている人の参考になったかは分からないけれど、無理に周りと同じ価値観を持たなくても、私のような価値観の人間もいるので安心してほしい。
私のお節介にお付き合いいただき、ありがとうございました。