子供の頃の夢を、貴方は覚えているだろうか。
私の夢は、過去のエッセイ作品でも言ってきたようにアナウンサーだ。いや、アナウンサー「だった」。
その夢を諦めるまでの過程は過去作品でも再三話してきているので割愛するが、ともかく、私は私の夢を諦めた。約15年憧れ続けた職業に就くことは叶わなかった。

◎          ◎

きっぱりと、即座に諦めきれたわけではない。数年はかなり未練たらしく私でも応募可能なアナウンサーの求人、番組制作の求人を探しては応募し、不採用になるということを繰り返していた。
そこまで粘って夢に執着し、それでも叶わず、そこでようやく私は諦めがついた。
「私にはこの夢は縁がなかったんだな」と思うと同時に、悔しかった。とても、悔しくてたまらず何度も泣いた。

この夢を諦めた瞬間、私が夢を叶えるために積んできた過程、努力も全部まるごと粉々になって砕け散ってしまったように感じた。
夢を追いかけて入った高校の放送部。夢をつかむために大学でも放送同好会を作ったりもした。
子供の頃はきれいな発音と話し方に憧れて、TVのアナウンサーの話し方や発声の仕方を研究し、少しでも近づけるように家族に隠れてこっそり練習したりもしたっけ。
「全部、全部無駄だったんだなあ」と悔しくて、悲しくて胸が痛くなり散々泣いたあとでようやく折り合いをつけた。
いや、折り合いをつけきれたわけではない。子供の頃から夢を諦めるまでの間にしてきた努力を全部無かったことにして、粉々に砕けたと思っていた想いや夢から目を背けて、もう終わったことなんだからと自分に言い聞かせてなんとか日常を送っていた。

◎          ◎

そして、今の私はかつて追いかけた夢とは全く違う職に就き、その環境で安定した生活を送っている。ふとした時に顔を出す、かつての夢や想いを見なかったことにして。
だけど、「綺麗な声をしているね」で1つ、「文の書き方が綺麗だね」でまた1つ、「私は、あなたの優しくて綺麗な話し方が好きだなあ」でさらに1つ。
かつての夢を追いかけてきた過程で培ってきたものが1つずつ、少しずつ認められるたびに、パァっと晴れるような心持ちになり、涙が出てしまうのだ。
その涙の理由は、認められた、夢の欠片を拾ってもらえた嬉しさが9割に、それでも叶えることができなかった自分への悔しさが1割。

砕けた夢を、掴むことはきっともうできないだろう。だけど、砕けた夢を見なかったことにして捨てる必要はどこにも無い。それを、かつての努力を認められて、1つ1つ砕けたものを拾って渡されてようやくそう思えた。

◎          ◎

夢は、必ず叶うわけではない。追いかける途中で躓き転んで、時には砕け散ってしまうこともある。だからといって追いかけられなくなった自分を、叶えられなかった夢を、全否定する必要はないのだと思えるようになった。
そう思えるようになったのは間違いなく、私の夢の欠片を拾って渡してくれた、一緒に貼り合わせてくれた周りの人達のおかげだ。

「かつての夢を追いかけて、でも叶わなくなって自暴自棄になった私へ。
夢は、叶わなかったけど夢を、全てを捨てる必要は無かったよ。確かに夢は砕けてしまったけれど、その欠片を1つ1つ一緒に拾ってくれる大切な人たちと出会えるから」
挫折した頃の私に話せるなら私はそう伝えたい。
砕けた夢は、確かに欠片になったけど周りの人たちに救われて、拾われて私の中に在り続けるから。