高校時代、私はマスクを外せなかった。それは自分よりかわいい子と比べられることを恐れていたためである。

中学時代に、母がとある学年一の美人をアイドルみたいにかわいいね、と褒めたことがきっかけで、私はマスクから逃れられなくなってしまった。もともと母は私が顔が小さいねと人に褒められた時も、ここにいない友人の名を挙げて誰々ちゃんの方が小さいなどと言うような毒親であった。
母に悪気はなかったが、私の心を締め付けるようなことが何度かあり、それを聞く度に私の胸に募るのは劣等感。誰にもこの顔を見せてはいけない、美人より劣った顔を見られるのがとても嫌だった。

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街中でも皆がこちらを見ているようで、それが美人だからという理由じゃないのならば死んでしまいたい、消えてしまいたいという強い思いが私を地獄へと落としていった。
酷い時には人通りの少ない道端で一人座り込み、帰りの電車を来て10分も経たない内に調べて、泣きながら帰った。一体、私はどんな過ちを犯して今こんな痛い目に遭っているのだろう?と思うくらい辛い日々であった。
学校ではマスクを外さないために食事もできず、空腹で倒れそうになりながら授業を受けていた。廊下で先輩が指差して笑っているのではないか?と思うと怖くて、廊下も早歩きだった。

唯一、私がマスクを外せるのはトイレの鏡の前だけだった。いつも自分の顔を見ていないと気が済まない。
でも見る度に口の産毛が濃い、口が曲がっている、鼻が美しくない、など嫌なところばかりに目が行き、死にそうになっていた。自分では努力してもどうにもならないことをずっと悩み、人にも相談できずにいた。

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ある時、マスクを外して顔を見ると、鼻水が顎まで垂れている時もあった。マスクをしているせいで人に見られていないせいか、私はとても不潔だった。マスクがなければもう少し見た目に気を遣ったのであろう。

そして、容姿が気になり出すと次は臭いまで気になり出した。マスクを付けていると口がこもって臭くないか?などやたら気にして人と話すことも最小限にし、話した時には臭くなかっただろうか?と心配で仕方なく、1つの会話を5年経った今も覚えているほど、臭いに気を遣って行っていた。
毎日容姿と臭いを気にする生活でへとへとになった私は1年も経たずして学校に通うことすらできなくなった。

さて、私のマスク生活は、その後の1年間の引きこもり生活を終えると同時に終わった。1年も引きこもってマスクをしない生活をしていたら、マスクをしなくても外に出られるようになっていた。その時にはまるで夢から覚めたように、なぜあんなにマスクにこだわっていたのだろう?と不思議に思っていた。

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しかし、外に出るやいなや、社会ではコロナウイルスが流行しだしており、またマスクをつけることになった。それにより私は高校1年生の16歳の頃から、21歳を迎えようとしている今の今までほとんど外に出る時にはマスクをして生活している。

高校時代に慣れていたものの、やはり息苦しく、外すのにも勇気がいるマスク生活。早く終わってほしいのが本音だ。自分が外せない状態だろうと社会に外すなと決められようと、辛いものは辛いし、気になるものは気になる。

今もこんなに長時間マスクをつけていると、知人の前でマスクを外すのには勇気がいる。
ただ1つだけよかったことは、マスクをしていることへの理解や、マスクを外すことを躊躇する思いが、普段マスクをしてこなかった人にも通じることが増えた点である。
私は孤独で仕方なかったので、今はわかってもらえる機会が増えて嬉しく思っている。それでもいつになったらこの地獄のような仮面を外せるのか?と思っている。