この世にはたくさんの性癖がある。それは性的対象者を限定するものであることもあるし、行為であることもある。多種多様で、とてもじゃないけれど一般化できない。
そう考えると、このおびただしい数の嗜好がパートナーと合致しないことは何も珍しいことではない。そして、人間の3大欲求である性欲と密接に関わっているため、性癖の不一致によって別れに至ることも理解できる。
だからこそ、婚姻関係の解消、肉体的・精神的な傷つけ合いに発展する可能性があることを考え、真摯に向き合うべきトピックである。

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20代も後半になると、長年の恋人、配偶者とのセックスレスについて悩む友人が増えた。ここ数年恋人がいない私は聞き役に徹するわけだが、同じセクシャルな話題であっても、学生時代のようにはいかない。そこには未来を見据えた、ある意味生き死にに関わる真剣さがある。
セックスレスにも多様な理由があるわけだが、実は性的嗜好の不一致もそこに含まれることを教えてくれた友人がいる。

彼女は結婚しており、子どもがいる。
日々の生活には満足しているものの、夫以外とセックスをしたい願望が捨てきれないことを語っていた。
彼女は学生時代より、パートナーがいる場合だからこそ他人と繋がりたい朧げな欲望があったが、現在のようにはっきり認識するまでには至らなかったとのことだった。
結婚して子育てに一息がついた今、あの当時の欲望が蘇ってきた。
ふと寝る前に思い出して堪らなく悲しくなると言う。
「不倫になっちゃうから絶対にできない。私はどうかしているんだよね」
この葛藤が夫とのセックスの拒否に繋がっている。

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性癖をもつことは個人の自由であっても、それを実行すると法に触れるケースは確かにある。
だからといって、その性癖をもつことが罪ではないことを私たちは忘れがちである。
この話の中、私は何もアドヴァイスはできなかったが、ただ、その性癖がおかしなものではないんじゃないかな、とだけ伝えた。

セックスという非常にプライベートな話題を、特に性教育の内容が乏しい日本では、どこかタブー視する傾向にあるように感じる。
私は以前、関係のあった男性に何度か3Pに誘われたことがある。彼のことは大好きだったが、どうしても当時の私の性的価値観には合わず、ずっと拒み続けて、いつしか彼とのセックスすら避けるようになった。これはまずいと彼に正直に気持ちを伝え、一時的なセックスレスで終わったが、大好きだからといって乗り越えられる問題ではないことを学んだ。

更に興味深かったのは、数人の女友だちにこのことを事後報告として話した時の、彼女たちの怒りのポイントである。ことごとく全員が、「私が拒む性的嗜好を勧めてくること」にではなく、「3Pを誘うこと」に怒っていたのだ。
「3Pなんて事実上の公開浮気」
「ありえない。愛がないから第三者も呼ぼうって言えるんだ」
つまり、彼の性癖に激怒したのだ。かなりの勢いで言葉による攻撃をしながら。
正直、当時の私は彼女たちの意見に同意をしてしまった。

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友人との会話で学ぶ性には先入観たっぷりなことを誰も非難できない。
そうやって勘違いされやすいのが性癖なのだろう。
辛いことに、私がなんと言って彼に気持ちを伝えたのか覚えていない。
どうか傷つける言葉が入っていなければ良かったと今になって切に思う。

驚くべきことに、今の私はさほど3Pに抵抗がない。
それは、恋人がいないから現実味がなくなっているというわけではないことは、性的関係にもある大好きな彼がいることで証明ができると思う。
それなら、あの3Pを誘った彼のことが実は対して好きではなかったからだという仮説は、真っ向から否定させてほしい。
彼のことは心から愛していたと今でも強く思っている。これは愛を証明できないのと同じで不毛。
そうではなく、ただ、興味が出てきたのだ。
私たちの性世界は本当か嘘かも分からない体験談や偏見、先入観に多くを支配されている。
3Pを誘う彼の意見を多角的に理解しようとしたのなら、3Pという行為自体をより深く調べたら、20代前半だった私も首を縦に振ったかもしれない。
間違っても、限られた情報や知識で性癖に優劣をつけることはしなかったと思う。

好きだからといって、なんでも同意できないのが性癖。
でも、その性癖が本当にあなたの性癖と合致しているかしていないかは、じっくり時間をかけなければ分からない。
少なくとも、誰もその性癖を批判できないことは知っておくべきだろう。