陰で「便覧」と呼ばれていた彼女。
入学時に揃えた教科書の中の、常用国語便覧の表紙の女性に似ていたことからつけられたあだ名だった。誰がつけたか知らないが、確かに似てるな、というのが最初の印象。

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自称進学校でガリ勉、真面目な子ばかりの中、彼女は目立つ存在だった。
教科書の表紙に落書きをしまくり、授業中には先生に隠れて、マネージャーをしていた野球部の部員へのお守りを刺繍していた。
みんなの勉強のペースについていけず焦っていた私は、彼女のその堂々とした姿が羨ましくもあり、少し疎ましくも感じていて、「この子とは絶対仲良くなれない」と思っていた。
しかし何をきっかけか、彼女と仲良くなった。地元が同じ方向だったこと、家族構成が同じだったこと、同じ進路希望だったこと。意外と共通点が多かったからだろうか。

でも共通点ではなく、違っているところに私は惹かれたのだと思う。
今思えば、周りを気にせず堂々と自分らしく過ごす彼女の姿に私は憧れていて、心のどこかで仲良くなりたいと思っていたのかもしれない。
高校を卒業する頃には親友と言える存在になっていた。

卒業後も彼女とはずっと連絡を取り合った。
なんだか不思議な勘が働く子で、私が落ち込んでいると、必ずと言っていいほどふいに連絡がくる。慣れない県外で1人暮らしを始めた私にとって大きな心の支えだった。 

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大学生活も終わりに近づいた頃。いつものように彼女からふいに連絡がきた。
開いたラインのトーク画面にはエコー写真。妊娠したという報告だった。

嬉しさとさみしさを同時に感じた。母親になる彼女の姿は、本当に自然に想像できた。絶対にいい母親になるだろう。
さみしさを感じたのは、お互いを取り巻く環境が大きく変わってしまうと悟ったからだ。結婚したり子供が生まれたりして、段々と疎遠になることはこの年齢になると特別なことではない。去るもの追わず主義な私だが、それでも彼女との関係は私にとってなくてはならないものだった。
「お互い周りの状況は変わると思う。でもこれからも変わらずずっと仲良くいてほしい」
絶対仲良くなれないと思っていた彼女に、自分からそんなことを言うなんて、高校時代の私は想像もしなかっただろう。

それから8ヶ月ほど過ぎた頃、社会人1年目で毎日ヘトヘトの私の携帯がまた鳴った。
陣痛が来て入院することになったとの連絡だった。
「なんとなく、いちかには連絡しておかなきゃと思って」
その言葉が本当に嬉しかったし、今から母になる親友に想いを馳せると、私も仕事を頑張らないと、と励まされた。

それから1日経ち、無事に産まれたとの連絡が入った。送られてきた写真の彼女にそっくりなその姿に、思わず涙が出た。
便覧と呼ばれていた彼女の出産報告で、こんなにも涙するなんて、高校時代の私はきっと想像もしてなかっただろう。

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流行り病の影響もあり、彼女とその娘に会えたのはそれからほぼ1年後のことだった。
思ったとおり、彼女は素敵な母親になっていた。娘を見つめる優しい目と穏やかな雰囲気は、見ているこちらも心が温かくなった。彼女の娘に生まれるなんて、絶対幸せになれるに違いない。

地元に住む彼女と県外に出た私は、今でもお互いふいな連絡を取り合っている。
時折送られてくる彼女の娘は、写真の中で本当にいい表情で笑っている。彼女と旦那さんと、周りの家族から沢山の愛情を注がれているのが伝わってきて、その笑顔を見ると思わず口元が綻んでしまう。

今日もふいに通知が鳴った。
「私生活がまた忙しくなりそう」
今回はエコー写真ではなく母子手帳だったが。