ここのところ、旅という旅に出ていない。
しかしもともと変化を求め、非日常を愛する性質の私は、旅行に行けない中でも様々なことに「冒険性」を見出していて、人生ではじめてミニシアターを訪れたのは、その冒険のうちのひとつである。
大画面で見た尾道の景色。ここにある文化的な熱量を浴びに行きたい
そこで見た映画が、1970年代の尾道を舞台にした青春群像劇『逆光』。
25歳の須藤蓮さんという方の初監督作で、自身が主演も務められている。
自主制作映画であるこの映画は、配給活動も会社を通さずご本人たちで行っている点が特徴的だ。そしてその中でもインパクトがあるのが、東京からではなく、舞台となった「尾道から」配給を始めている点である。
さらに、映画のグッズが尾道のクリエイターの方々とコラボしていたり、対話を行うイベント「Dialogue」を尾道で実施したりもしている。
私がこの映画を視聴したのは、渋谷のユーロスペースというミニシアター。
大画面で見る尾道の景色は夏という季節に光と影のコントラストがよく映えて、映画の空気感とも相俟って、行ったこともないのに「どこか懐かしい」、いわば「エモい」景色である。
それに加えて、この配給活動の経緯もふまえると、尾道には文化的な熱気があるに違いない、という気がしてくる。
実際に監督や他の関係者の方々も、「尾道の熱量」に度々言及されている。
だから私は今、尾道に行きたくて行きたくて仕方がない。
その熱量を浴びるために。
これは、憧憬だ。
尾道に憧憬する2つの理由。自分に欠けたものはここで補える気がする
ひとつは、「クリエイティブなことをして生きていきたい」と考えている私にとっての憧れ。
25歳という、私と同年代の人が歩き、映画をつくった尾道という場所。そこにはもとから存在していた熱量に加えて、彼と、彼に共鳴した人たちが残していった熱量が残っているのだろう。さらに、彼らに影響された尾道の人々がきっといて、今も進行形で、火を燃やしているに違いない。
私もそこに行きたい。
そこから火をわけてもらって、そして私の中で今大きくなりつつある火を、一緒に灯したい。
もうひとつは、東京で育った私にとっての憧れ。
実家は東京ではないものの、中学生のころから私立の学校に通っている私は、以来ずっと自分の基準が「東京」になっている。高いビル、いつまでたっても眠らない街、散乱するゴミ、音、キャッチ、人混み。
その反動と、幼いころで記憶が止まってしまっていて今はもうない母親の実家(山口県の小さな島で、目の前は海だった)が、「尾道」への憧れを呼び起こしている。
そこに行けば、時間が止まってしまった私の体内のどこかがまた動き出して、自分に欠けているものが月のようにゆっくりと満ちていくのではないかと、つい期待してしまう。
落ち着いたら必ず行こう。尾道への期待は今、私の原動力になった
すべてが落ち着いたら必ず尾道に行く。
できれば、1か月、2か月という時間をかけて、『逆光』チームが体験したものを私も同じだけ浴びたい。
そこで火をもらい、火をわけて、尾道の熱量に私も参加する。そんな日々を過ごしながら、自分に必要なものを見つめ直して、尾道の空気で補っていく。
そのときまでに、今私の中で育ちつつある火をもっと大きくしていよう。
尾道への期待は今、私の原動力になっている。