私には少し歳の離れた仲の良い兄がいる。その兄は、大学卒業後、地元で就職。そして長くお付き合いした高校の同級生と結婚し、実家から徒歩5分の距離に家を建て、2人の子供がいる。
兄は、母の理想の息子だ。

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一方の私は、高校を卒業すると同時に地元を離れ、ひとり暮らしを始めた。就活の際、地元に戻るか悩んだが、結局は地元を離れたまま月日が流れ今に至る。
言っておくが、私は地元が大好きだ。どれくらい好きかというと…………。

私の地元は田舎だが観光地のため、友達や職場の人に、おすすめを聞かれる。即座に「こことここは絶対、でも距離が遠いから車移動がおすすめ。宿泊ならこの辺りに泊まって、予算的にはここのホテルとか旅館が良いよ、日帰りの電車旅ならここの名所巡るぐらいが限界かな、あとご飯屋さんは早く閉まっちゃうよ、時期的に、この店舗は閉鎖してるから、特別メニューがあるこの店舗がベスト」等、延々に語ってしまい、「地元愛強いね」と笑われてしまうほどだ。
そのため、「地元に戻らないの?家族とも仲良しだよね」と周りから聞かれることも多い。

『地元に戻ったら、いじめられていた苦い思い出が蘇るから』
これは、周り、そして家族への建前だ。

私が大学に入るまでは、大型連休などは家族で国内外問わず様々なところへ旅行した。大学生になってからも、大型連休には絶対、それ以外の土日でも頻繁に帰省したし、毎年家族旅行も行った。

社会人になってからは、残業も多く、土日出勤も多々ある職場に配属されてしまい、なかなか休みが取れなかった。それでも大型連休は休みだったから、帰省するのが私の中の当たり前だった。家族の暗黙のルール、それが年に1回以上は家族旅行をすることだったのだ、きっと。今だからこそ、そう思う。

家族、いや主に母だが「今年はどこ行く?ここ安いよ」という会話が年に何度も生まれる。仲良し家族だったと思う、うわべ上は。

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『地元に戻らない理由は、母だ』
母は、いわゆる教育ママで、どちらかというと過干渉気味で厳しかった。私は時には反発しながらも、それでもこれが普通なのだと思い、学生時代を過ごした。
ただ大学を選ぶ基準は、『実家から通えないところ』だった。その頃から微かな違和感は自分の中にあったのだろう。

私が地元を離れてからの母の口癖は「次、いつ帰ってくるの」だ。言われるがまま、帰っていた。
そんな日々を過ごすなか、コロナが流行りだした。急激に世の中が変化するなかで、私の母への思いも急激に変化していった。

母の職業柄、感染は許されない状況で、県外に出ることを禁止された。追い打ちをかけて、私も出張前は2週間の自宅待機、そして行動管理を徹底された。結局2年ほど地元に帰省できなかった。
その間、私は何ができるか、何が好きなのかを真剣に考えた。結論、フットサルに没頭した。
スポーツが昔から好きで、サッカー観戦が趣味な上に、1人でフットサル場に行ったとしても、知らない人同士で集まってプレイできるのが魅力的だった。
私は、自分の好きなことを自分で考え、誰にも左右されずに出来る喜びを知った。

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そんな日々を過ごし、2年ぶりに帰省した私。
母のひとつひとつの言動に窮屈さを感じた。
「いつ地元に戻ってくるの?」
「今日はどこに行くの?」
「買い物に行こう」
「地元で、こんな求人あったよ。ぴったりでしょ?」

結局母は、自分が敷いたレールの上を歩く娘が欲しかったんだ、と悟った。私は今の仕事に誇りを持って仕事をしているのに、勝手に私の将来を決めないで欲しかった。
私の学生時代の違和感はここにあったんだ、と気付いた。
私の人生は私のものだ。いくら母親だろうと、私の人生を決めて良いとは、もう思えなかった。

そこからは帰省頻度が目に見えて減った。コロナを言い訳にした。
母は未だに知らないし、きっと見ていない、私の本音など。

そして私は2ヶ月前に結婚した。
結婚相手には全て話した。
そうしたらこう言ったのだ。
『自分の好きにしたらいい。生きてるだけで良い』