「寂しさを埋める」ってよく言うけど、埋められないと思う。
寂しさは地面に空いた穴みたいに「あるはずのものが欠けている」状態ではなくて、ただただ「寂しいという感情がある」状態だから。
例えば、石ころとか。花とか。雲とか。
自分の目の前にただ存在していて、無視することもできないし、埋めることもできない。
恋人がいても、寂しさがあることに変わりはない。
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デートの終わりに、喧嘩になることがよくある。
きっかけは色々だけど、たくさん遊んで楽しかったデートの時ほど、帰り道で喧嘩になる。
2年前の11月、誕生日デートの日。
恋人の誕生日を祝うために、水族館に行った。
二人とも水族館が好きだから、写真をたくさん撮ってはしゃいだ。夜はおしゃれなバルを予約して、おいしいお肉をたくさん食べた。
帰り際、恋人が私の服装を見て、
「可愛い服が好きってこの前言ったから、スカートを履いてきてくれたんだね。嬉しい」
と言った。
バイバイした後で、モヤモヤした思いが残った。
私は恋人のためにスカートを履いてきたんだろうか。スカートなんて好きじゃなかったのに。全然自分らしくない格好だと思っていたのに。
恋人の好みに合わせて自分を歪めていってしまっているような感覚に陥って、それが苦しくて、1時間以上かかる帰り道を自宅まで歩いた。その間一切スマホを見なかったから、心配した恋人から何度も電話が掛かってきていた。電話越しに、恋人は泣きながら怒っていた。
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1年前の8月、浴衣デートの日。
どうしても地元のライトアップイベントに行きたくて、仕事が終わったら浴衣に着替えて行こうと約束していた。
恋人の仕事が終わるのが遅れて、二人で慌ただしく着替えて家を出た。
ライトアップが終わらないうちにと急いで見に行ったけど、二人ともお腹が空いていて、疲れていた。ごはんを食べて帰ろうにも、周辺のお店はカップルたちで満席。恋人はだんだん機嫌が悪くなってくる。
奇しくもそこは初めて二人で会った思い出の場所で、私は初デートの時の優しかった恋人を思い出して、今の状況とのギャップに悲しくなって泣いてしまった。
今年の2月、バレンタインデートの日。
久しぶりに隣の県に出掛けようと前日から約束して、楽しみにしていた。
電車に乗って移動して、ランチを食べてウインドウショッピングをした。二人とも体調があまり良くなくてすぐに疲れてしまったけど、どうしても夜まで遊びたかったから、チョコレートを一つずつ選んで買って、晩ごはんを食べてから帰宅した。
最寄駅から家までの帰り道で、恋人とちょっとした言い合いになった。そんなつもりはなかったのにお互いに傷ついて、無言で歩いて帰った。いつもなら手を握ったら握り返してくれるのに、恋人の手は動かなかった。
家に着く直前になって、恋人に「ごめん」と言われた。
「最近調子悪くて、好きって言ってもらってもうまく好きって返せない。好きなのに、行動とか態度にうまく出なくて、無理して好きって言ってた」
私は、無理をしていた恋人と、無理をさせていた自分の両方が可哀想で、泣きながらごめんと謝った。
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目の前に寂しさがある時、その寂しさを誰かになんとかしてもらおうとすると、苦しくなる。
寂しさを相手に押し付け合って、どうして寂しい思いをさせるの?と、相手に多くのことを求めてしまう。
恋人は、寂しさを共有する相手じゃないんだ、と今更ながら気づいた。
寂しさは、それぞれが自分で抱えていくしかないものなんだ。
「好きって言いにくい時は、無理に言わないで」と、私は泣きながら恋人に言った。
「でも、私は好きだと思った時に好きって言いたいから、返事しづらい時は他の言葉を言って。『みかん』とか、『うどん』とか、『ミミズク』とか」
「みかん?」
恋人は、やっと笑ってくれた。
「じゃあ、練習ね。『好きだよ』」
「……『ミミズク』」