私には、人生で一番と言ってもいいほど好きな推しがいた。その人たちのために学校も勉学も励んだし、その人たちに会いに行くためにバイトも頑張った。
でも彼らは、何の前兆も予兆もなく、活動休止を発表し、2020年をもってメディアから姿を消した。

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頑張る理由がなくなるというのは、心の中に大きな穴が開いたようで、軽い絶望に追いやられた。
2021年から、私はどうやって、何のために生きていけばいいのだろう。大袈裟な、と思うかもしれないが、当時の私はそれだけ本気だったのだ。
見る世界はすべて彼らに染まっていた。活動休止を発表した2019年1月27日の夜ご飯を、私は食べられなかった。ずっと応援していたかった、と大泣きして母親を困らせた。

でも、と思えるようになったのは最近の話だ。
でも、あのまま彼らが活動を続行していたらどうなっていただろう。三次元に存在するアイドルは、アイドル(偶像)といえど所詮は人間。歳だって取るし、衰えは目に見えてわかる。その分新しいニュースターが登場してきて、メディアの露出は立場を譲ってどんどん減っていくだろう。

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それは悪いことでも何でもなくて、時という抗えない摂理だ。残酷だが仕方のないこと。
リア恋(リアルに恋している)勢にはつらい話だが、結婚の話も出てくる。今も彼らが活動を続けていたら、そういう現実を突きつけられて、私も少なからず落ち込んだだろう。
好きだから最後まで応援したい。好きだから最後なんて見たくない。相反する想いにオタクはいつも翻弄されている。

あんなに落ち込んだ彼らの活動休止だったが、現在私は何事もなかったかのように元気に過ごしている。
新しく出会った人たちに「私、実はあのグループの大ファンで、ファンクラブにも入っていたほどなんですよ」と話すと、「え!意外!」と驚かれるくらいには、彼らに対する愛の面影は薄くなっている。

そういうものなのだ。人間、どれだけ絶望の淵に立たされても、新しい環境に慣れてしまう。今も好きなことに変わりはないけど、優先順位はもう一番じゃない。彼らの代わりに心の隙間を埋めてくれるアーティストにも、ハマるアニメにも出会った。そうやって人は新しい出会いを積み重ねていくのだろう。

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電撃活動休止したグループの元ファンとなった私は、同じ界隈の電撃活動休止を発表した後輩グループのファンから相談を受けることがある。「どうやってその悲しみを乗り越えましたか」「どうやって明日から生きていけばいいですか」など。

大袈裟だな、なんて思わないし、嘘でも「どんまい」なんて言わない。オタクはいつでも自分の中の“好き”に真っ直ぐで、それはとても素敵なことだから。
「推せる間は推せるだけ推しな。いつかそのグループに対する想いがアルバムみたいに宝物になる日が来るよ」

そう送った私の想いが、どんなに遅くてもいいから彼女たちに理解される日が来るといい。
今は“好きだから”という想いが、いつか“好きだけど”という想いに変わるまで、オタクは推しに全力を注ぐのだ。