私は旅行が苦手だ。旅行に限らず、外に出ることが苦手である。大勢でワイワイするのも苦手。俗にいう陰キャだ。
コロナが流行した今でこそ、家の中での時間や、一人での時間を楽しむことが以前より肯定されるようになったが、それでもやっぱり、外に出かけることよりも家の中で静かに過ごすことが好き、できることならなるべく外に出たくないというのは、「共感できない」と言われたり、「変わっているね」「不思議だね」という扱いをされることの方が多い。

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二十代前半くらいまでは「普通」になりたくて、いや、「普通」以上の「キラキラしている女子」に憧れていたし、趣味が旅行だと言い、暇さえあれば旅に出る人をカッコいいと感じ、私もそうなりたいと思っていた。外に出ることが好きではないので、ファッションにも興味がなかったけれど、中学高校の頃は毎月ファッション誌を買っていた。
社会人になり、お金が自由に使えるようになると、時々旅行雑誌を買い、「よし!いつか行こう!」と意気込み、働くことに少し慣れてきた頃にはキラキラ女子の真似事をするように、夜はキャバクラでアルバイトをした。

あの頃の私はあの頃の私で楽しんでいたのだけれど、いつも何か物足りないような感覚を覚えていた。本当は、ジャージ姿でずっと家の中にいても、堂々と「私は私、こんな格好で家にいても私には価値がある」と思いたかったし、思われたかった。旅行へ行かなくたって「充実している人」と思われたかった。キャバクラで働かなくたって、「キラキラしている」と思われたかったし、私だってチヤホヤされたかった。ただ、自分で自分を認めたかったし、認めてほしかった。

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三年前にコロナが流行し、私はキャバクラをやめた。そして、代わりに何かやろうと思い立ち、大金をはたいて投資の塾に入った。

久しぶりの勉強、慣れない経済用語、上手くいっている他の受講生と自分を比較して落ち込む気持ち、早く利益を出したいという欲望。それらと奮闘する日々はとても辛く苦しく、時に悲しい思いもした。想像していたよりも苦戦し、何度も諦めそうになったけれど、昔のように何か物足りない気持ちにはならなかった。

どうしてだろうと振り返ると、将来は不労所得で生きていきたいと思って始めた投資の勉強だから、それが叶えば辛いと思いながら働くことも、心をすり減らして同僚に合わせることもしなくて済むし、静かに本を読み、黙々と筋トレができる、思う存分寝られる、頑張った先に、無理に「普通」でいる必要がない未来が待っているという希望が持てたからではないかと思う。

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何度も挫折して立ち直ってを繰り返し、気がつけば投資の勉強を始めてから三年弱がたった。
その三年の間にも、「普通」と少し違う自分を好きになれなかったり、「普通」を全力で楽しみ、キャッキャしている女性たちが羨ましくてモヤモヤしたりもした。そうして心が鍛えられ、少しずつ働かなくても生きていける兆しが見えてきた。ここまで頑張ってこられたのだから、目標が達成できるまで走り続けられるだろう。
投資の勉強を始めて一年経った頃にできた彼氏は、私を応援してくれている。恋愛が上手くいっているからか、心に余裕ができ、家族からの愛も今までの何倍も感じられるようになった。

よく考えれば、投資をやる二十代の女性は、今の日本では「普通」ではないだろう。でも、私は投資が好きだし、そんな私も好き。大好きだ。私のことを愛してくれる人のことも、もちろん大好き。
「普通」じゃなくたって、私は大丈夫。私の愛する人たちと、これからも幸せな方を選んで、堂々と生きて行く。