4年借りたアパートを、卒業を機に引き払った。Uターン就職をしたので、卒業後は実家に住んで地元で働く。
入社手続きのために、地元の銀行や役場に出向く場面が多々あり、その中で何人も古い知人や友人と再会した。私が変わったのか彼らが変わらないのか、久々に再会した彼らとの間には見えない厚い壁があるようだった。
皆以前と同じように親切で優しかったけれど、彼らはやはり地元の情報に精通していて、初対面の人も誰かしら知り合いの知り合いだったりして、田舎というのはやはり閉鎖的であると感じた。私はもう一度その閉鎖的な空気の中に入れてもらえるだろうかと、奇妙な心細さをおぼえたのだ。
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引っ越し当日、家具家電を全て運び出したがらんどうの部屋は、いやに寒々しかった。その日の天気が朝から雨だったこともあるだろう。天気の良い日が多い地元と違い、京都は基本的に曇りがちで、暑さ寒さも厳しいものだった。
管理会社との引き渡しの時間までまだ少し余裕があったので、何もない部屋で床に座ってお昼を食べた。引っ越してきた日もこうして床に座ってご飯を食べた。
もうあれから4年も経ったのかと、なんだか信じられない気持ちだった。
帰りの車の中で、あの部屋で過ごした日々の思い出があとからあとから湧いてきた。大半はコロナ禍のオンライン授業を受けていたときの光景で、なんとなく薄暗い部屋でパソコンの灯りが白く眩しかった。
エアコンで手足は冷たく、洗濯物はいくら干してもちっとも乾きはしない。なんとなく憂鬱な梅雨の時期だ。私が心を病む一歩手前の時期でもある。
当日の天気のせいもあって、そんな日々が一番に思い出された。
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もちろん楽しい日々の思い出もある。1年生の頃だ。
来る日も来る日も朝まで遊び回り、外が明るく清々しい朝の空気に包まれる頃に帰宅して眠りにつく。もうそんなに眠くはないけれど眠れるだろうかと目を閉じて、次気がついたら昼を過ぎている。だらしなくてろくでもない生活だったけれど、人生で一番と言えるほど自由で楽しい暮らしだった。
もちろん日々の不安や心配事はあったはずだが、思い出は美化されるのか、喉元を過ぎた熱さを忘れてしまったのか、勉強とアルバイトをこなしつつ余暇は全て遊ぶことに費やした。
生きるエネルギーが最も強く燃えていたように思う。
たった4年間でも、天国と地獄があったのだ。雲の上をふわふわと浮くような幸せな時間も、真っ暗闇のどん底を這いずるような時間もあった。でもどれも全部、今となっては「懐かしい」の一言で済ませられてしまう。「そんなこともあったな」と言ってしまうほど、非現実感を伴ったただの思い出なのだ。
それは少し寂しいことのようにも思えるが、私が歩みを止めなかった証拠でもある。良くも悪くも私自身の軌跡なのだ。
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私は3年後5年後の未来に、同じ感覚でこの瞬間を思い出せるだろうか。今抱えている不安も心配も、大したことなかったと思えるようになるだろうか。
できればそうありたいというこの思いは、未来への不安でもあり期待でもある。いつかこの今の苦しみも辛さも、「終わったこと」になってほしい。
私はまだまだ歩き続ける。時々こうして立ち止まって過去を振り返ってみたりして、そしてまた今歩き始めた。この先の道がたとえどんな悪路であったとしても、歩けなければまた這いずってでも進んでいく。
環境の変化に足をとられそうになるけれど、ここまで歩いてきた足があるのだから、きっと大丈夫だと思う。