2月の雨の日、お客さんが春の雨の日の香りをまとってお店に入ってきた。

百貨店の中で働いていると、なかなか1日の時間の感覚や、季節の移ろいに気づくことが難しい。しかしその香りが鼻に届くと、珍しく心がウキウキした。

春が近づいてきている。長かった冬が終わり、春の気配がする時期。
いつもなら「なにかやり損ねたことはなかっただろうか」と季節の移ろいを恐れてばかりだったのに、今年はなんだか胸が躍る。
どういう心境の変化なのだろうか。春が来るのが、こんなに嬉しいだなんて。

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小学生の頃から大好きな作家、イギリスの児童文学の大家、ダイアナ・ウィン・ジョーンズという人の著作の中で、1番くらいに大好きなのが、「九年目の魔法」という物語である。
ポーリィという女の子と、トーマス・リンという男性の、9年間に渡る2人の恋と魔法と呪いについて描かれた物語である。

その冒頭の2人の出会いのシーン。そこで2人は、「nowhere(どこでもないところ)」と書かれた2つの瓶で遊ぶ場面がある。「nowhere(どこでもないところ)」は、角度を変えると「now here(いまここ)」になる。
いまだにあんまりピンとこない哲学的な内容なのだが、ずっと私の中に引っかかっていて忘れられない。

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節目節目に、出会うべくして出会う物語や文章が、人生の中にはあるように思えてならない。
森下典子著の「日日是好日」という小説を読んだのは、2022年の春ごろだったと思う。茶道にまつわる主人公の心情の変化を繊細に捉えたエッセイのような物語なのだが、この物語を読んだときに、私は何回泣いただろうか。
この物語の冒頭にも、とりわけ忘れられない一文がある。

「生きにくい時代を生きる時、真っ暗闇の中で自信を失った時、お茶は教えてくれる。『長い目で、今を生きろ』と。」

短いまえがきに書かれたさりげない文だったけれど、このフレーズに私は心をグッと引き込まれた。この物語を通して、失っていた繊細な感性を取り戻したような気がした。
冬から春に変わった時に吹く風の頬を撫でる感覚や、雨の日の湿度の高い空気。汗だくになる暑い夏の日の、氷水で冷やされたラムネの瓶。夏が終わる時の物悲しい夕焼け。
絹の布に触れているような繊細で柔らかな感性を、忘れてしまっていたことに気付かされたような、そんな感覚。

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それから職を得て、遅めの社会人デビューをした。慌ただしい日々を送っているなかで辟易としてしまい、そんなこともすっかり忘れてしまっていた。ここ数ヶ月はまた、読書からも遠ざかっていたのだけれど、久しぶりにSNSで見かけた小説を買って読み始めた。
松澤くれは著の「明日のフリル」という小説だ。
ちょうどアパレル職についたのに、ファッションに関する物語を読んだことがなかったから、と思って購入して早速読んでみた。そしてこの本の中にも、同じようなフレーズが出てきた。

肉体は紛れもなく「いまここ」を生きているはずなのに、挫折した私は、ずっと「どこでもないところ」で死んでいた。世界がずっとモノクロで、何の音も、何の香りもしない、サイレント映画のようだった。

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そこから、音楽を聴いて、本を読んで、洋服を買って、人と触れ合って、少しずつ感覚を取り戻していった。もう黒の洋服しか着られない、あの日の私はいなくなった。やっと、季節が巡ることを恐れなくなった。

日々の暮らしの中に恐れがないわけではないし、自分が本当に何がしたいのかもわからない。けれど、私は「いまここ」を生きることを楽しんでいきたい。
自分で自分の人生を暗くするのは、もうおしまい。だって、空はこんなに澄み渡っているし、ご近所の庭の桃の木は、一足先に春の訪れを知らせてくれているのだから。